囚われの生活 日の当たる場所

足取りも重く家路にたどり着いたのは夜中の3時。
客の居なくなった店を一人で閉じて、歩いて10分程の自分のマンションに戻ってきた。
基本、店に居る時はお客に勧められない限り滅多に物を口にしない佐山は、これから軽い食事を食べ僅かな時間プライベートな時を楽しむ。
今日は帰りがけにDVDを借りて来た。
昔に撮影されたグリム童話のアニメ。
ほのぼのとした作風が気に入っており、時折このアニメが無性に見たくなるのだ。
疲れを取る甘いフレッシュジュースとこれで、今日はゆっくり眠ろうと鞄から鍵を取り出し真っ暗な部屋を開ける。
「……あれ?」
部屋が明るい。
行掛けに電気を消し忘れたのだろうか。佐山は首を捻った。
靴を脱ぎながらダメだな気をつけなくちゃと一人ごちていたが、ふと風が人によって動く気配を感じた。
「人?」
眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべた。
不法侵入者かと先程までリラックスした表情であった佐山は身を潜ませ、何かあっても対応できるようにと身構えた。
玄関の扉を音が出ない様に大きくゆっくりと開け放し、自分の退路を確保すると玄関に置いてある傘を両手で持った。
そしてゆっくり足音が出ない様に部屋へ向かう。
電気が付いているのは廊下の突き当たりの部屋。丁度ガラス戸になっている部屋だ。
ここだ。
ここから人の気配がする。
鷹由紀はガラス戸から身を隠しつつ壁に寄りかかり大きく深呼吸して自分を落ちつかせ、えいっと思い切ってガラス戸を開け放った。
「こらっ!!」
パニックしているのかもしれない。
思うような罵声と言うか脅し文句が見つからず、なんとも間抜けな声を上げながら居間に突入する。
すると、
「ん?どうした…勝彦??」
燦々と光る照明の下には空き巣等では無かった。
佐山の主人である篠原が、大きなソファーにゆったりとくつろぎながらTVを見ていたのだ。
「し、篠原さん………?」
傘を構えたまま唖然と名前を呟く佐山に篠原は振り返り、佐山の珍妙な恰好を見て含み笑いを浮かべた。
「お前どうしたんだ……ああ、わかった、俺を空き巣か何かと間違えたな」
意地悪く呟かれ、佐山は慌てて傘を後ろ手に隠した。
恥ずかしい。
意地悪くじろじろと佐山を見つめ続ける篠原の視線に耐えられず俯くと、アッという間に頬を紅潮させ所在無げにオロオロした。
自分の家なのにとても居心地が悪い。
どうしたらこの恥ずかしさを取り払い、今の出来事を無しに出来ないものか。
「まったく、お前は何時になったら俺に慣れる?そろそろ主人の生活パターンを覚えても良いころじゃないのか?」
「すみません……」
全くもってもっともだった。
篠原は行動パターンと言うが、全く予想できないのが彼のパターンだった。
彼が来たいと思った時が来る時、それは夜中だったり昼だったり、全く予告なく訪れる。だからこそ部屋に知らず気配があると言う時は「彼」が来ていると言う事になるのだ。
「あ、あの……ごめんなさい」
小さいさく重ねて謝る佐山に篠原は立ち上がると、俯いている佐山の後ろ手にある傘を取り上げた。
「さぁ、傘はもういいだろう、いい加減捨ててまずは座れ」
傘を捨てると、篠原は佐山の腰を抱いた。
「立ったままではゆっくりと話しも出来ないだろう」
「は、はい…………、あっ」
身長を屈めて耳に息を吹きかける様に囁かれ佐山は身を震わせる。
そのまま雰囲気に呑まれ流れそうになったが、ふとある事に気が付いた。
「ドア…」
「どうした?」
「玄関開けっ放しで…」
「仕方が無いやつだな、お前はソファーに座って休んでろ」
まったくと呆れた様に肩を竦める。
「え?」
「ドアくらい俺が閉めてやれる」
そう言うと佐山の身体をさっさと離すと扉を閉めに行った。一人その場に取り残された佐山は唖然とする。常に命令される事が多いので、篠原が偶に見せるこういった優しさに慣れていない。
「あ、あの篠原……」
「早く座っていろ」
「はいっ」
佐山は反射的に答えて小走りにソファーに座った。
そのソファーのなんと座り心地の悪い事。
いつもはゆったり寛げるソファーが今は初めて座ったかのようにしっくりこない。折角、身体を寝そべる事も出来るソファーであるのに佐山は肘掛のある隅っこに何故かちょこんと座ってそわそわと篠原が戻ってくるのを待っていた。
ほどなくして篠原が戻ってくると、当然の様にソファーに座った。当然とばかりに佐山を抱き寄せ、先程まで見ていたTV番組を見だした。
足元には先程傘を持つ際、玄関先に置いた荷物まで持って来てくれていた様だ。
ちょこんと隠す様にソファーの陰に置かれていた。
佐山は物言いたげにTVを見ている篠原を見上げた。
深夜にこんなにゆったりとくつろいで佐山に居るのは初めてじゃないだろうか、不規則な時間にやってくるのは毎度の事だが、僅かな違和感を佐山は感じていた。
なにかあったのかな?
佐山は何も言わなかった、篠原の顔を何度も伺っては何か変化が無いか探していた。
「……なんだ?何かあるのか?」
気付かれた。
佐山は慌てて適当な理由を言った。
「あ、あえっと……何か飲み物を……」
「ああ、そうだったな勝彦は帰って来たばかりだった……冷蔵庫に何かあるのか?」
「え?」
「持って来てやる」
「いいです!」
そんなことした事無いんだから言わないで。
佐山は腰の手を払い慌てて立ち上がった。
「僕がやりますっ!」
その気色ばんだ言葉に篠原は苦笑いを浮かべる。
「なんだ?そんなに怖い顔をして」
怖い顔じゃなくて、混乱しているんですと言い返せない佐山はスクリと立ち上がると、珍しく篠原に強く物を言った。
「もう、篠原さんは座って居て下さい」
そうじゃないと僕の心が緊張で壊れそうなんですとは流石に言わなかったが、言えるものなら言いたかった。
どうも調子が狂う場所からさっさとキッチンへと向かう。
何を飲むかまだ分からない篠原の為に、バーボンに冷やしてあった炭酸水とレモン水を入れて軽めのバーボンソーダーを作り、自分には寝る前に必ず飲んでいる野菜ジュースをパックからマグカップに注いだ。
それらと口直しのミネラルウォーターを用意して持っていくと、篠原は迷うことなくバーボンソーダーを手に取った。
一口飲むと途端しかめっ面になった。
「ん……薄いな……」
「そうですか?」
篠原にとってはアルコールが薄過ぎて美味しくないだろうと分かっていた。
が、彼の身体を思うとこの時間にアルコールの濃い物はあまり出したくなかった。いつも浴びる様に仕事の付き合いで毎日飲んでいるのだから、自分の所に居る時はなるべく身体に優しい物を取って欲しかった。
「本当なら僕と一緒に野菜ジュースを飲んでもらいたいんです」
「おいおい冗談言うなよ」
苦笑いを浮かべてバーボンソーダーを飲む篠原に佐山は本当なのにとソファーに深く座ってジュースを飲んだ。
ちびちびと濃厚なトマトベースのジュースを飲みつつ、篠原にぺたりと寄り添った。
篠原の大きな身体はほんのり暖かくてホッとする。
両手でカップを支えながらコクコクとゆっくり飲んでいると、うとうとと眠気が襲ってきた。
心なしかカップも先程より重い。
(眠くなって来ちゃったな…)
思いもかけないバタバタと、それからのゆったりとした時の流れは何時もより早く佐山を睡魔が襲った。
瞼を頻繁に開閉してなんとか起きようとするが、やはり疲れて帰って来た身体だ。
睡眠は自然な欲求で抗う事が難し様で、とうとう眠気に負けそうになった時、篠原が助け船を出してくれた。
持っていたマグカップをそっと取り上げる。
「もう眠るか?」
「………でも」
目を擦りながら首を振る。
篠原が来たと言う事は、佐山の身体を貪りに来たはずだ。彼の愛人である佐山が主人を置いて眠る事は本来なら許されない事だった。
頑張って起きようとしている佐山を見て篠原は喉の奥で笑い、頭を強めに撫でる。
「いい、今日は寝ろ…俺も今日は疲れている」
「………本当?」
「ああ、本当だ」
「……うーん」
何故か佐山はその言葉に眉間に皺を寄せ何やら考え事を始めた。
「どうした?」
篠原が声を掛けると何を思ったのか、目を閉じうとうとしながらも目の前でシャツを脱ぎだしたのだ。
「何してるんだ?」
「し……ごと…ぉ………」
完全に寝言になっている。
篠原は苦笑いしながら脱いでいる手を押し留めた。佐山は眠った頭で必死に考えた結果、やはり仕事を完遂させなくてはと考え、そんな状態でも篠原に身体を捧げようとしているしているのだ。
「馬鹿か……俺は鬼畜か?」
限界そうなお前に手を出すほどまだ人間を捨ててないと愚痴を言いながら愚図る佐山を抱きあげた。
「する?」
上目遣いで尋ねてくる佐山に苦笑いで応える。
「しない、もういいからベッドで寝るぞ」
「寝……ます?」
「ああ、寝るから安心しろ」
「………はい」
ふんわりと頬笑み、やっと大人しくなった佐山は、そのまま安心した様に目を閉じあっという間に眠りにおちてしまう。
「全く……仕方のない奴だ」
苦笑いを篠原は浮かべながら、ベッドの中に二人で潜り込んだ。
既に太陽が昇り、大きな窓のあるこの部屋には暖かい日が差している。
篠原は愛しい愛人に陽の光が当たらぬよう身体で陽の光を遮ってやりながら、眠りの世界へと落ちて行った。