猫とダンス6

ウオオオオオオオ!!
ウオオオオオオオオオオ!!!
まるで狼の遠吠えの様な声が部屋中どころかこの辺り一帯響き渡っていた。腹の底に響く様な呻き声に、深い眠りについていた鷹由紀の瞼が震え、そして目を覚ました。
部屋は既にルルが眠る際にランプを全て消してしまった為に真っ暗だ。
かろうじて一つだけ木戸が閉じられていない窓から淡い月光が室内に差し込んでいる。

「……………なに?」
不快な音に目を覚ました鷹由紀は渋く目を開き、ベッドの中で視線を彷徨わせた。
まだ寝ぼけ眼で完全に覚醒していないのだろう、キョロキョロと周囲を確認して隣に眠っているルルの背中を見つめた。
「ルルさん、煩い……いびき酷いし、綺麗な顔なのに」
糸目状態でルルの事を睨みつけた鷹由紀は、ベッドにある幾つも重ねられた羽根枕を手に取ると自分の頭を覆った。
これで安眠できるはず。
そう思って目を閉じて気が付いた。
声はルルからの方からだけではなく、今鷹由紀が向いている壁の外からも聞こえるのだ。
この音は何だと再度鷹由紀は眼を覚ますと、緩慢な動きで起き上がった。
ぼさぼさになった髪のまま、身体を左右にふらつかせベッドから抜け出した。
「外から…かな」
鷹由紀は目に入った月光が差している窓に向かった。部屋の中で唯一光さす場所は天使の梯子の様だ。淡い月光がハシゴの様に部屋の中に光を差していた。
鷹由紀はおぼつかない足取りで窓際に行くと外を覗き見た。
真っ暗で何も見えないかと思っていたが、時間で月の位置が変わったのだろう、暫く外を見ていると徐々に目が慣れてきて外の景色が若干だが様子が分る様になってくる。
「………ん?」
鷹由紀は表に何か動くモノを目にした気がした。
「………なんだ??」
外に黒く蠢くものが見える、それも一つじゃない、複数この家の近くや遠くに幾つも見えた。
注意してみないと分らないが、ゆっくりとまるで地を這うかのように動いている。
鷹由紀は目を細めてその動くモノを見つめた。
徐々に暗闇に目が慣れクリアーになっていく視界、鷹由紀は息を飲んだ。
「あれは何??」
鷹由紀が目にしたものは、腐敗した人だった。
腐敗した人々が目の前の草原を徘徊しているのだ。
鷹由紀はその光景から目が離せなくなっていた。
「嘘だろう……」
怖いもの見たさで離せないのではない、怖すぎて身体が動けないのだ。
鷹由紀は窓際に齧りつく様にその光景に目を奪われた。
すると腐敗したそれが、鷹由紀に気が付いたのか、ずるずると足を引き摺りながら鷹由紀のいる窓へと一直線に向かってきた。
その歩みは徐々に早くなり、やがて鷹由紀めがけてかけ出し、窓際へと鷹由紀を覗き込むように顔を窓硝子へ押し当てた。
「うわあああっ!!!」
色の悪い皮膚がめくれ皮下組織が見えるその姿に鷹由紀は盛大に悲鳴を上げ、弾ける様に身体が跳ねそのまま床に落ちた。
腰を抜かしたのだ。
「なに、なにっ!どうしたの???」
鷹由紀の悲鳴にルルはベッドから咄嗟に起き上がった。
「何してるの鷹由紀?!」
寝起きとは思えない早さでベッドから出ると、窓際で腰を抜かしている鷹由紀をひっぱりあげる。
「ルル……ルルさん、あ、あれ……お、お化け…っ!!!!!お化けが居るんだよ!!ドロドロのぐっちょんぐっちょんで、ゆっくりしてたと思ったらすげぇ速さでやって来て、見つめられてっ!!」
「あー、はいはい分った分った」
なんだそんな事かとルルは天井を見上げた。
「え?なにそれ!ちょっ!聞いてるの?!!!マジ異常だって!!」
「異常じゃないんだよ」
「へっ?」
「言っておかなかった私が悪いね、この平原にはね満月の夜「死人」が徘徊するんだ」
「死人?」
「うーん、この世界で言うお化けかな?」
「なっ!やっぱり怖いんじゃん!なんで平気なの?!ルルさんは!!」
「慣れちゃった」
照れ笑いをするルルを思わず殴りそうになってしまった鷹由紀は寸で堪えた。
「大丈夫彼らは外を歩いているだけで何もしてこない、ちょっと姿はグロイけれどそれだけ、鷹由紀多分死人を見つめちゃっただろう、そうするとやって来ちゃうから気を付けて、彼ら寂しがり屋で興味を持ってくれた人に近づいてくる習性があるからさ、まぁ正体も分った事だし、また寝よ、夜更かしは身体に毒だよ」
「うわ、そこの情報重要だし、もう怖くて眠れないよ」
「もう、鷹由紀は結構ビビりだね、死人の声が煩いのだったら羽根枕全部を貸して上げるからそれで耳を塞いで寝てみたらいい、私のも上げるから大丈夫絶対に家に入ってきたりしないから平気だよ、それじゃ……」
ふわぁと大きな欠伸をしてルルはベッドに戻って行ってしまった。
取り残されてしまった鷹由紀は慌てた。
「ちょ、ま待ってっ!!!」
鷹由紀はルルの後を追う様にベッドへ潜り込んだ。そして羽根枕を抱えるだけ抱えて枕に埋もれる様にするとシーツを目深に被ってあの恐ろしい声と光景から逃れようとした。
ガタガタ身体が震える。
それもそうだ。鷹由紀は生まれて初めて「お化け」という存在を見たのだから恐怖に身体が慄いても仕方の無い事だった。
(どうしよう、羽根枕に埋もれてもめちゃめちゃ怖い)
普通に現代っ子として生まれた鷹由紀には刺激が強すぎた。自慢じゃないがビビり男子と言う自覚のある鷹由紀は幼い頃から培った想像力によりホラー小説等は一切読めない草食系男子に立派に育っていたからだ。
頭の片方をギュッと押し付けて、もう片方は上から羽根枕を押し付けたが、羽根枕を押さえている手があの死人に捕えられたらどうしようと、手を外に出し続ける事も出来ない。
鷹由紀は羽根枕同士の隙間からチラリとルルの様子を覗き見た。
すると視線がかち合う。
きっと楽しそうに怯えている自分を見ているに違いないと、キッと睨みつけるが、意外にルルは穏やかな顔をしていた。
「どう?」
ルルは穏やかに尋ねてくると、怖がっている鷹由紀の手をそっと握った。暖かく大きな手がしっかりと鷹由紀の手を包み込んだ。
人肌にルルには言えないが鷹由紀の心は途端解れ、ホッとする。
「正直に言うと私も初めて見た時は驚いた、所見の日は鷹由紀と同じ様にガタガタ震えて明け方まで眠れなかった」
「ルルさんが?」
「そう、私は元々違う場所に住んでいたから、この場所に越してきて最初の夜に死人を見た時はひっくり返ったよ私の住んでいた所には出なかったからね」
「なんだ、あんまり僕と変わらない」
「そっ、だから気持ちも分る訳」
ルルの手が延ばされた。
羽根枕を押さえていた手をシーツの中に戻すと、ルルがその代わりに羽根枕の上に手を添えた。
「これで眠れるだろ」
これで鷹由紀は自分の両手をシーツの中に置いておけるのだ。
だが、ルルはその代わり一晩中鷹由紀の頭の上に手を置くこととなってしまう。
「…疲れるよ?」
「腕枕するよりマシだよ」
「うわ、エロ発言」
「…なんだ、そのエロって」
きょとんとするルルに鷹由紀は慌てて訂正した。こんなんできょとんとされたら、自分が俗物だと名指しされた様な気がしたからだった。
「な、なんでもない、それより本当に大丈夫なら絶対に手外さないでよ」
「分ってるって、意地悪しないからそこは安心して、そんなことより鷹由紀、頭がもぞもぞしたりない?」
そう言えばと鷹由紀は頭を探った。
起きてからなんとなく違和感があるような気がする。鷹由紀は自分の頭を何気なく触ってみた。
「多分今晩中に耳が生えてくるはずだから、寝て体力を温存した方がいい、身体の仕組みが変わってしまうし、新しい物を作り出すんだ、良質な睡眠を取って可愛い耳が生えるといいね」
ピコピコとルルは自分の耳を動かして微笑んだ。
「可愛いって言われてもあんまり嬉しくないけれど、どうせ生えるんだったらまともなのがいいかも、そう言えばルルの耳は髪の毛とお揃いだね」
「ああ、私のは髪と一緒で真っ黒、結構気に入ってる、鷹由紀は榛色の毛と同じ色かな?もしかして唐色かもしれないし茶虎かもね、楽しみだ」
羽根枕の上から鷹由紀の頭を撫でて、「綺麗に生えろよー」と楽しげに眼を細めた。
「もう、やめてよ、僕は全然楽しみじゃないよ」
嫌がる様に頭を振る。だが、ルルはそんなのにめげたりはしない。
そんな仕草が可愛いとぬけぬけと告げると、一旦鷹由紀の手を放し、そっとその手を頬に沿わせた。
「鷹由紀にとっては不幸だけれど、俺は鷹由紀が耳付きになるのがほんのちょっとだけ嬉しいんだ、一緒になるって事だから、だから浮かれちゃってるのかもね」
「なにそれっ…僕は複雑だよ、耳が生えるなんて初体験だし、生える時に激痛とか走ったらもう絶対に耐えられないし」
鷹由紀は頬に添えられた手を振り払い、照れ隠しに乱暴気味になる。
でもそんな鷹由紀を見透かしているのかルルはけして怒らないのだ。それどころか暖かい視線を鷹由紀に投げかけるだけだ
「その時は私がなんとかして上げるから安心してよ」
ちょっと辞めて欲しい。
ルルの美しい顔でそう告げられると男だと分っても胸が高鳴る。一緒のベッドで寝て気が付いたのだがルルからは男臭さが一切ないのだ。
無臭に近い。
ますます心が寄り添ってしまいそうになる。
鷹由紀はまるで幼子が母に甘える様にルルを見つめると
「何してくれるの?」
するとルルは途端にっこり笑った。
「安心させて上げる様に抱っこ」
「…………いらねー」
即答だ。
ルルの言葉に想像以上落胆して、鷹由紀は思わずルルを叩きそうになる。
「なんだよー照れるないで、遠慮はいいって」
「いや、本当にいらねーし、つうか手ももういい」
そう言って羽根枕に置かれていた手をはたき落とし、鷹由紀はルルに背を向けた。
「えー鷹由紀ツマラナイー!」
「つまらなくて結構です!!早く寝なよ」
縋ってくるルルを後ろ手に「シッシっ!」と追い払う。
「さっきまで寝れないって鷹由紀が言ってたから付き合って上げてただけだよ」
「忘れた」
「酷い…」
「酷くないし!僕普通の耳が欲しいからもう寝るよ!!」
「さっきまで怖がってたくせに」
悔しいとばかりルルが恨み事を言うが、鷹由紀は敢えて無視して目を強く閉じた。
先程まで怖さで縮こまっていた心は、ルルとの口論ですっかり解れた様で目を閉じると軽い眠気に襲われる。
(もう、ルルさんの馬鹿!!馬鹿者だ、まったくっ!!)
鷹由紀はルルに恨み事を言いながら落ちていった。