君を我寵愛せし 15

馬は僕を乗せるとあっと言う間に走り出し、真っ黒い森の中へと突き進んだ。僕の身体はぎゅっと公爵の胸に押し込められ身動き一つ出来なかった。胸に頭を押しつけられ呼吸さえ簡単に出来ない。
何度も逃げられないかともがいては見たものの、公爵の腕はしかと僕を掴んでいて到底逃げ出す事は不可能に思えた。
そもそも走っている馬から飛び出せば大けがを負ってしまい結局は捕まってしまう。
何れにしろ僕に逃げる道は一つも残されてないのだった。
馬はドンドンと進んで行き森を抜け山脈の登山道へと辿り着くと、そこでやっと馬は歩みを止めた。
公爵は僕を抱えたまま馬を下りると、僕を胸から離す事無く予め用意されていた馬車に乗り換えたようだ。そもそもこの山脈の登山道に乗り合い馬車等無いはずだった。
きっと公爵家の手の者が協力しているのだと分った。
胸の隙間から僅かに見えたのは汚い使い古された質素な馬車。とても公爵家の人間が乗る様な車には見えない。向かい合った二席しかない狭い室内に僕は公爵に抱きしめられたまま膝の上に乗せらると、馬車は無情にも走り出した。
馬車が登山道を暫く走り続けていると僕は漸く公爵の胸から解放される、僕は身体から離れようと咄嗟に反対側に身体を向けたが強い力で戻されてしまう。
「ど、どこに連れて行くんですか?」
謹慎中であるはずの公爵が何故こんな事を行えるのか。僕自身に良くない事が起こっているのは明確だった。
恐る恐る彼の顔を見上げると、想像していた表情とは違い悲壮に彩られ、非常に緊張した面持ちだった。
何か言ったらその緊張が途端に弾け、自分の身が危うくなってしまう。そんな危惧さえ感じてしまう。何かを覚悟したそんな感じだ。
「どこに行くと思う?」
シニカルにこの様にこの人は笑っただろうか。
酷い事をされたのにも関わらず僕の胸はツキンと痛んだ。
「わかりません……」
「教えてやろう。これから住むお前と私の新たな家だ」
「…??」
「もう一緒に暮らしたくないだろうがな、生憎俺はお前を手放すつもりはない。お前がどんなに嫌がっても、私のモノだ」
「……何を言っているんですか?そんなこと出来る筈が無い…早く僕を家に帰して下さい。だって暫く待って居ればまた共に暮らせるときがくるでは無いですか?」
「お前は馬鹿か?お前は周りに言われた事を全部うのみにするんだな」
僕を馬鹿にしたように鼻で笑う公爵からは荒んでいる。
「お前と私はこのままだと一緒に暮らす事は無い。教えてやろうか私はあの日公爵の任を解かれた」
「……え?」
「両性を侮辱した罪で私は本屋敷を追われ、別荘で隠居という名の監禁生活を送っていたよ」
「嘘……」
「だからお前は馬鹿というんだ。私はお前を手放す気は無かった。思考錯誤した上でやっと脱出しお前の居る場所を突き止めた」
公爵は話している内に気分が高揚して来たのか、ドンドン声が大きくなり興奮しているようだった。
「既に罪人の私だ。何をしてももう怖くは無い。どうせあの別荘で一生を終えられぬ、私は公爵として生まれた男だ、そんな私につまらない最後は相応しくない。そう思うだろブノワ?」
同意を求める公爵の眼には狂気が宿っていた。
ブノワは信じられず、頷く事も出来ない。
ただ震えそうになる身体を必死に誤魔化す事に必死だった。
紳士だった公爵を何がこんな風に変えてしまったのだろうか。
「どうして、私を連れて来たんですか……私が居ると貴方に対する追っても厳しくなるはずです……リスクが高い……」
「そうだな。そうだ……なんだそれほど馬鹿でもないのだな。そうだな、強いて言えばお前は私の妻だからだ」
「妻……?でも……」
「妻」と言われても殆ど実感が無い。
幸せなプロポーズと結婚式を送ったが、それ以外は殆ど新婚らしい生活は無かったのだから。妻でいようと僕は努力していたが、夫である公爵はその努力をしていてくれただろうか。
「でも……か?おかしな疑問を持つ」
「おかしいですか?」
「ああ、おかしく感じる」
「僕には可笑しいと感じます。公爵には僕では無く既に思う方がいらっしゃったではないですか?」
「ああ、アンヌのことか?お前はあんな女のことを気にしているのか?」
「え??」
鼻で笑った彼に僕は面喰ってしまう。
笑うことだろうか?
僕なりに衝撃的な事実ではあったのだ。
だが公爵にはその事が理解出来ていないようだった。
僕を宥める様に抱きよせ、優しく頭を撫でてくる。
「アンヌに何を言われたのかは分らぬが、正妻はお前一人。私の子を孕む事が許されているのもお前だけだ、それが何を意味するのか分るか?」
「いいえ、わかりません」
「お前は私に従属しなくてはならない」
「従属……ですか?」
「妻というモノは夫に尽くすものとお前も母上に聞き齧った事があるだろう。私は妻には貞淑で居て欲しい。勿論大人しく言う事を聞けば優しくしてやりたい。愛しているからね」
「愛……?」
「ああ、愛しているのはお前だけだ。お前も私を好いているだろう。これから行くところは今までお前を護ってくれた父も母も家令や侍女さえ居らぬ場所だ。私とお前だけの世界。素敵ではないか」
「素敵とか……そんなことでは無いです!!そんなことが出来る筈がありません」
この国は優秀な国境警備隊や集落集落には国直属の騎士団が数カ月単位で常駐している。誰も知られずにいる事等不可能だ。
それにこれは大事だ。
公爵は謹慎中であるのに何らかの手を使い僕を誘拐しているのだ。
見つかったら即極刑。もしかしたら死刑になってしまうかもしれない。
「今しているのか自覚があるのですか?」
「ああ、あるさだからこの国を出るんだ」
「……っ?!!!」
「外を見ろブノワ」
公爵は車窓を指さした。
既に馬車は山道を登り切り、下りはじめていた。
見た事もない場所。
青々とした畑も綺麗な丘も見えないただ暗い森が延々と続いていた。
「これからお前が暮らす場所だよ、ここまでくれば国の警備隊や騎士たちも軽々しく来れない既に他国へ入っているからね、残念ながらこの国は我が国と違い情報網が疎い。まだ未開拓の地も多い発展途上の国だ。幾ら隣の国の要請だからと言って隠れるように暮らす我々を探し出す事は困難だろうよ」
クスクスと楽しそうに笑う公爵に僕は眩暈がした。車窓に縋りついている僕を公爵は背後からそっと抱きしめて頤をなぞった。
「愛しいブノワ……これでお前と私は二人きりだ。誰にも邪魔されない二人きり、私が公爵で無くともお前は私を愛せるだろう?」
頬に何度も施される口付に、僕は身がすくんだ。
「狂っている……」
思わず出た言葉に公爵は冷たくふっと笑った。
「そうかもな、だがそれもまた良いではないか」
楽しそうに笑い公爵は僕を車窓から引き離すと、深い口づけを求めた。力任せに唇を合わせあっと言う間に舌を絡め取られて強く吸い上げられる。
「……っんっ……ぅっ」
息つく事も許されない口付は僕に苦しみを与えるだけだった。
公爵はそんな僕を構いもせず、しかと抱きしめ、自分が良しと思うまでねっとりと口づけを楽しみ終わった頃には気を失う寸前だった。
僕がぐったりしていると、嬉しそうに僕を抱え頭を撫で頬を寄せてくる。
「可愛いブノワ……大丈夫、心配しなくても良い」
その言葉がやけに飾りものの様に思えて僕の身体は震え動く事が出来なくなってしまった。