猫とダンス2 16

「どうしたの?元気ないね」
朝食があまり喉を通らなくて、元気の無い僕をルルさんは心配そうに顔を覗きこんできた。
何度か暖かいスープだけは全部食べようと思うけれどなかなかスプーンが進まず、諦めてカトラリーを置くと真正面に座って心配げな顔をしているルルさんの背中に懐いた。
「……ん?どうしたの??鷹由紀、やっぱり具合が悪いんじゃないの?」
「ちょっとテンションがおかしいだけ…夢見が悪かったんだ」
「そっか、そんな時もあるよね」
深くは聞かないところがルルさんらしい。
懐いている僕の手を取って、ルルさんはそのままくるりと身体の向きを変えると僕を膝の上に子供みたいに座らせた。
「じゃあ、私が食事を終えるまで一緒に居てくれる?食べ物の匂いは平気?」
「ん」
元気の無い僕の頭を撫でてルルさんは何事も無かった様に食事を勧めた。
時折、食べる?とハムや野菜を向けてくれるけれど、生憎本当に食欲が無くて、食後の甘いドライフルーツだけをむしゃむしゃと食べるとそのまま食事は終わった。
相変わらず曇った表情のままの僕を安心させるように、ルルさんはきゅっと抱きしめてくれて
「大丈夫だよ」
って呟いてくれた。
何が大丈夫なんだよ。って突っ込み入れたい所だったけれど、ルルさんなら何でも知って居るかもしれないから、僕は黙っておく事にした。
見つめると穏やかに微笑んで、頭を撫でてくれる。
元々顔が良いし、なんだろう僕と付き合う様になって来てからますますかっこよくなったって言うか…余裕が出て来たのかな?
悔しいかな、ルルさんの余裕の頬笑みは俺の心臓をノックアウトさせる程の威力を持っているらしい。
ズキューン!とまるで弾丸を受けたように胸が高鳴った僕は顔を正視出来なくて、慌てて俯いてしまう。
まるで中学生だよ、これじゃあ。
テンションが下がったうえに情けない気分もプラスされて、このまま消えて無くなりたい気分になった。
俯いた僕を心配するルルさんを誤魔化そうと窓の外を見ると、部屋の暖かい雰囲気とは裏腹に、生憎の曇り空。
「どうしたの?」
「いや……なんか薄暗いなって……」
「そうだね、これだと雨が降るかもね」
「雨?」
「うん、降るかもしれないね」
早く過ぎて行く雲を窓から見詰めていると急に身体の奥から真っ黒な塊みたいな不安がせり上がって来て、僕は急いでルルさんにしがみついた。
「なに?今日は甘えん坊だよね」
「……ん」
正直に何か怖い気がするとは言えなかった。
ただ外の暗さから隠れるようにルルさんの胸元に潜り込むのが精一杯だった。

ルルさんはそんな僕を抱き上げた。
「もう一回寝ようね」
「……ん」
そのままベッドに運んでくれて、二人でまた眠りに付く事にした。
僕を腕に抱きしめたままのルルさんは、何度も顔に口づけをすると、ジッと目を見つめてくる。
「怖い夢見たら何時でも良いから起こすんだよ」
「大丈夫だよ……」
精一杯の虚勢はルルさんには意味をなさない様だ。苦笑いを浮かべると、そのままぎゅっと僕の頭を胸に押し付ける。
「私が心配なんだ、教えてくれる?」
「……わかった」
「よかった」
安心したように笑うルルさんに、やっと緊張していた身体が解ける感じがした。
「このまま眠ったらもうきっと疲れも嫌な気分も吹き飛ぶよ」
「うん」
まるで睡眠薬の様な優しい呟きに僕は意識を手放した。


その覚醒は突然起きたと言って良い。
気持ちの良いフワフワした世界から急激にぱちっと目覚めた。
ルルさんが言った通り、あの胸に去来していた嫌な気持ちも吹き飛び、すこぶる良い気分だった。
「うーん!!」
背伸びをすると、更に目がすっきりと覚める。外からは雨音が激しく聞こえる。
ルルさんが言った通り、曇りが雨を連れて来たのだろう。
「喉が渇いたかも……」
寝る前に殆ど何も口にできなかったので、ついでに何かをつまもうと、ゆっくりベッドから起き出した。
ルルさんを見ると、すっかり深い眠りに落ちている様で僕が起きた事に全く気が付いて無い様だ。
「ルルさんには悪いことしちゃったな、心配凄くかけちゃったし……」
美味しいおやつでも作って、お詫びでもしようと部屋の中にある食糧庫に何があるのか考えながら水甕の水をすくった。
部屋の隅にある水ガメはルルさんと僕とで交代で水を外の井戸から汲んでいて、いつもすっきりと澄んだ美しい水が張っている。
「あれ?」
水がめの周りが水浸しだった。
「失敗しちゃったのかな?」
水汲みは原始的な方法で桶に汲んで水がめにうつす方法だから稀に零してしまう事もある。よくその水の後を見ると玄関の扉から繋がっていて、ルルさんが珍しく失敗してしまった事を物語っていた。
「珍しい事もあるなー」
クスクスと笑って、さて何を作って上げようかと水をゴクリと飲み込んだ時だった。
突然腕が何者かに掴まれて、グッと水がめの中に引きづり込まれそうになる。
「なに?!!!」
僕は慌てて水をすくっていた柄杓から視線を移すと、水甕からあろうことか死人が出て来たのだ。
「ちょっ!!」
凄い力だった。
死人は僕をズリズリと水がめに引きづり込もうとしている。
慌てて必死に踏ん張るけれど、片腕を既に水がめにすっぽり引き摺りこまれてしまっている為、踏ん張りが効かない。
ボロボロの皮膚に、腐った死肉を持つ死人は僕の顔を間近で見ると、口を開けてケタケタと笑った。
「ミツケタ、エルラシオン」
「えっ?!」
エルラシオンって夢に出て来た人だ。
「ま、待って違う!!!ルルさん!!!ルルさん!!!!」
僕は必死になってルルさんに助けを求めた。
が、それは遅かった様だ、負けるものかと踏ん張った時に水がめの周囲の濡れた床に足を取られ、僕は死人が引っ張るまま水がめに落ちてしまった。勢い余って膝を強打したが痛がっている場合では無かった、なんとかしようと思うが、身体が宙に浮いてしまい、もうこで終わりだと覚悟した時だ。
水面に落ちる時に目の端にルルさんが慌てて飛び出して来てくれたのが見えたが、僕の体はルルさんが辿り着く前にすっぽりと水がめの中に吸い込まれていった。
嘘だろう……。
大きいとは言っても僕の身長の半分位しかないはずの水がめに落ちた僕の身体はすっぽりと水に飲み込まれそのまま、水底に引きこまれていったのだった。
気持ち悪い死人はケタケタと笑いながら僕を更に深い場所に連れて行こうとしている。
このままではいけないと渾身の力を持って、足を降り曲げそのまま死人の首に向って思い切り蹴りを繰り出した。
既に腐敗しているその身体は蹴りに耐えきれず足がめり込み、慌てた死人が漸く手を離したので、慌てて水面に向って泳ぎ出したが、一向に水面は近づかない。
なんなんだよ!これっ!!!
息が続かない。
ひとかき、ふたかきと幾ら手を掻いて水面を目指しても辿りつかない。
もうダメだと思った。
息がぶくぶくと口から一気に出たかと思うと、そのまま目の前が暗くなる。

ルルさん助けて!!!

手を伸ばしてみたものの、その手を掴んでくれる事は無く、僕はそのまま意識を失ったのだった。