猫とダンス2 7


新月の夜に出現するはずの死人が現れる等予想だにしていなかった。真の暗闇ならどこでも出現するのだろうかとふと頭を掠めたが、今はその様な事を考えている場合ではないと直ぐに思い当たった。
どこかに逃げなくては行けないと、周囲に視線を巡らせる。
すると部屋の中はここかしこが隆起しており、鷹由紀の居た場所では、既に死人の腐った腕が植物の様に地面からニョキリと出ていた。
「あー、やっぱりそうだよそうだよっ!!」
落ちつかなげに足踏みをし、先程落ちて来た天井の穴を見つめてみるがやはり自力で登れるような高さでは無い。
どうしたらいいのかと肖像画とは正反対の場所を見ると、ふと扉の様な物が見えた。
「あそこ……」
扉の外にまだ部屋が有るかどうか等分らない。
だが、ここに居れば何れはこの部屋の隆起分の死人が現れるのは分り切っている。
ダメ元だと鷹由紀は賭けた。
部屋のどん詰まり。
肖像画と正反対の壁にはやはり扉があった。
観音扉のそこは、人一人でやっと一枚の扉が開けられる大きい扉だった。
鷹由紀は暗闇の中ドアノブを探し出し力いっぱい引いた。
ギギッと古めかしい音を立てて扉はゆっくりと開き始める。
「やった!!!」
人一人分やっと隙間が出来ると鷹由紀は暗闇の空間の中を遮二無二走り出した。
無我夢中で走った。
壁を頼りに、既に崩壊しそうな建物の中を走った。
突き当たりにぶち当たると適当な扉を開け、また走る。それを何度繰り返しただろうか、息が途切れ足もガクガクと笑い始めた頃にある部屋へと辿り着いた。
そこは天井から光が差す部屋だった。
天井をよく見ると、星形の窓枠に硝子が嵌め殺しになっている。
部屋の中央には水盆がおかれ、そこからチョロチョロと清い水が沸いているのか溢れていた。
空気は澄んでおり、何故か死人はココには出ないと言う漠然とした安心感が広がる。
取敢えず走りまくって疲れ切った鷹由紀は水盆の傍へと駆け寄ると、沸いている水をすくいあげ、匂いを嗅いでチェックすると勢いよく飲みだした。
「冷てぇっ!!」
歯が染みる様な冷たさに一瞬眩暈を覚えたが、相当喉が渇いていた為にそんな些細な事に気を取られる事は無かった。
思う存分水を飲むと、水盆の奥に文字が書かれている。
「何……?えっと……エル………ラシオン??……なんだそれ??」
水の底には鷹由紀がまだ読めない綴りの文章が彫り込まれ、読めたのはエルラシオンと言う言葉だけ。
聞いた事のない言葉に頭を捻った。
「なんだろうこの土地の名前かな??」
森としか聞いていなかったこの土地にもきっと名前は存在する。
後でルルに聞こうと思った鷹由紀はこれからどうするかと一旦しゃがみ込み天井から差す光を見上げる。
すると驚くべきことが起きた。
天井の光がゆっくりと集まり、それは徐々に形を成していた。
淡い光は丸くなり、そして歪み大きくなり、それはついにハレーションの様に強烈な光を放つ。
「うわっ!!」
思わず目を庇い腕で光を遮ると、その光は人の形をなしていた。
「……嘘でしょ……」
キラキラと輝くそれは星狩りの星の光に似ている。
「誰、あんた……」
天人という人がいるならば目の前の人が多分そうなのだろう。
真っ白いローブに流麗な面の男性は鷹由紀の顔を見るとにっこりとほほ笑んだ。男性は口で名前をかたちどるが生憎鷹由紀の耳には聞こえない。
「なに?分らない??」
怖くは無かった。
多分、昔散々読んだライトノベルやお伽噺を読み過ぎたせいだろう。
禍々しい雰囲気どころか清らな気を感じる彼に敵意は無いはずだ。
だが驚いた。
死人の次は、まるで天神の様な存在が今目の前に居るのだ。
何度もゆっくりと名前だろう言葉を繰り返す男に鷹由紀は申し訳無さを感じる。
「ゴメン、僕聞こえないんです貴方の声」
もしかしてここの元城主の人だろうか。
綺麗な顔が鷹由紀の言葉に落胆し苦笑いを浮かべると、男性の肩にそっとか細い手が添えられた。
「えっ?!」
驚いて横を見るといつの間にかその男性の周りには無数の人が付き従っていた。
皆男性の様にローブや立派な服を着て一心に鷹由紀を見つめている。
「ちょっ……冗談でしょ」
その人々が鷹由紀を一斉に見つめ何かを口々に言っているのだ。
何かを求める様に手を伸ばし、中には泣き顔の人等も居た。
まさしく集団ヒステリーの様な状況に見て取れた。
怖い。
鷹由紀は自分の感が外れた事に気がついた。
確かに清らかな雰囲気を感じたが、今は違った意味の危険性を感じている。
聞いた事があった。
あの世に行けない浮遊霊や自爆霊は、自分が生前したかった事や、成仏できない苦しみを生きている人に知らせると。
どう考えてもその状況に近い気がした。
これがそうなのかと思った途端、鷹由紀は勢いよく首を振る。
「無理、無理です僕全然霊感とかないし!!だってこの世界にだって来たばっかりで自分の事さえ一人で出来ないのに人助けとか、本当に無理でっ、て言うかこう言うの苦手なんですっ!!!」
情けない事に語尾は涙声で震える。
人生初の幽霊体験なのだから当り前だ。
死人はリアルに気持ち悪かったが、此方は心理的に怖いと言うか恐ろしい。
ホラーは物理的な気持ち悪さのアメリカ映画より心理的な恐ろしさの日本映画だろうと常々思っていたが、今の状況が正にそれに当て嵌まる。死人よりこっちの方が怖い。
途端に怯え出した鷹由紀の目の前に、いつの間にかローブを着た男性は近くにやって来ていた。
顔に息が吹きかけられそうなまで近寄られ、そのままゆっくりと口付られてしまった。
身体中からスッと力が抜け落ち途端に目の前が暗くなる。
(なに?)
座っていられない。
目が霞み身体がゆっくりと傾げるのが分ったが、止められなかった。
助けを求める様に手を伸ばすと、目の前の男性がゆっくりと鷹由紀を抱き込むのが分った。
(辞めて……)
それは言葉にならない。何故なら意識があっと言う間に暗闇へと押しやられていくからだ。鷹由紀は意識をとうとう手放してしまった時、最後に聞こえた。
『待ってた……』
それは懐かしく感じる声だった。