猫とダンス2
僕こと駒ヶ根鷹由紀は某大学に通う20歳だ。
母はヨーロッパの血を引く金髪美人で父は会社を経営するビジネスマン。
ちょっと華やかな容姿に生まれつきそれなりに女子からの受けも良いけれど、容姿からは想像出来ないインドア派。
アウトドアなんてとんでもないし、出来る事なら部屋にずっと居たい。
性格も至って普通。箸にも棒にも引っかからない地味めな性格だと自負している。
仕事に忙しい両親は、鷹由紀の事は二の次とあまり目を掛けられずに育った所為か、寂しさを紛らわす為に小さな頃から本ばかりを読んで育った。気が付いたらドの付く愛読家に育ったのは必然かもしれない。
だが、鷹由紀はそれを寂しい事だとは思っていなかった。
寂しさを紛らわす事も、人生の対処法、辛い事楽しい事も全て本から教わったと言っても良い。本はいつの間にか鷹由紀にとってただの紙に書かれた話では無く、彼の人生の師匠の様な存在に変わっていたのだ。


だが、この状況は師匠である本にも対処法は記されていなかった。
「………どういうことだ……これは……?」
鷹由紀が爆風の次に目が覚めた場所。
それは広い草原のど真ん中に何故か座りこんでいた。
「僕は死んだのでは……」
信じられない様に自らの手を見た。
あの熱風では酷い火傷があるはずなのに、手は綺麗なまま、それどころか洋服に焦げ一つ付いていないのだ。
身体を探ってみても、痛み一つ痒みも無い。どこも何も変わってはいなかった。
「何が起きて、僕はなんでこんな所に?」
鷹由紀の目の前には突き抜けた様な青空と、小さな花畑が幾つもある美しい草原が広がっている。
視線の先には頂きに雪を被った山脈が連なり、ここが高原である可能性が高い事を知った。ぐるりと周りを見回すと、鷹由紀の左手に屋敷林に囲まれた小さな木造の家が見える。遠目でよく見えないが人が住んでそうだ。
鷹由紀の記憶では自分が住んでいた周辺地域や大学の近所にもこんな場所は無いはずだった。
周囲を探る様に匂いを嗅いでみると少し五香粉の様な癖のある香りがした。香りの元を辿ってみるとどうやら鷹由紀が下敷きにしてしまっている草から香っている様だった。下草を見てみると、イネ科らしく穂を付けた剣先の様な葉が茂っている。
こんな癖のある香りのするイネ科の植物なんて聞いた事も無い。
「もしかして死後の世界?」
乾いた笑いが上がる。
否定したいが否定出来ない。見た事も無い美しい景色と知らない場所。死んだはずの自分は無傷でしかもこの場所まで瞬間移動する等考えられない。そう考えると自分は死んだとしか思えないのだ。
知らぬ間に三途の川を渡ってしまったのだろうかと見回して探してみるが、川らしきものは無く、水のせせらぎも聞こえてはこなかった。
「あーなんなんだよ、死後の世界って三途の川で行くのを躊躇ったりする場面がある訳だろう、僕にその場面が無いなんて、おかしいじゃないか……っ……まぁ、未練がある親族とかいないけど………」
両親を思い出して、少し気分が重たくなる。
自分はあれからどうなってしまったのだろうか、両親は自分が死んだ事を知ってどうしたのだろう。可哀想だと少しでも泣いてくれるだろうか。多分泣いても直ぐに忘れられてしまう様な気がする。泣いても仕方がないと二人は直ぐに割り切り自分たちの道にまた戻ってしまう気がした。
「多分、俺が墓に入ったら墓参りとか来なそー」
一人笑って茶化してみたが、胸の奥でツキンと寂しさが広がる。
「……ん、多分忘れられちゃうんだろうな……俺…、本当はこんなに意識があって一人でこんな所に放り出されて困ってるのにさ」
ああーと投げやりな気分になって鷹由紀は草の上にごろんと転がった。
空にはゆっくりと白い雲が流れる。
本当にここが死後の世界ならその内迎えが来るだろう、と新しい出来事が起こるのを待つ事にしたのだ。
そよそよと吹く風にうっそりと目を閉じながら、どうか恐ろしい鬼や悪魔が来ませんようにと祈った。

暫くすると、遠くの方から草が何者かに踏まれる音が聞こえて来た。
鷹由紀はその音に敏感に反応してパッと目を覚まし、起き上がった。鷹由紀の目の端。
先程見つけた家の方から人が少し駆け足でやってくるのが見えた。
天使なのか、悪魔なのかそれとも鬼なのか。
鷹由紀は今後の進退を決めるであろうその人物を食い入る様に見つめた。
「………ん?」
徐々に近づいてくる人物に思わず首を捻る。
(……なんだあれは??)
天使の様に輪っかを頭に付けておらず、悪魔や鬼の様に屈強な身体をしていたり、変わった身体の色や形をしている訳ではない、普通の人が鷹由紀めがけて走って来ている。
人、人なのだ。
鷹由紀は前のめりになっていつの間にかその相手目がけて手を振っていた。
「おーいっ!!すみませーん!!」
大声を上げてみると、走ってきた人物が気が付いた様だった。声に応える様に頷いた。
「ラッキーっ!ついてる」
てっきり見た事も無い伝説上の生き物がやってくると思っていた鷹由紀は、見慣れた感じの人がやって来てくれて良かったと胸を撫で下ろした。
ここがどこかも今やって来てくれる人物に聞けるに違いない。
分らない事は人に聞け。
小学校の頃よく鷹由紀はそう教わっていた。
小走りの人物が近くになり互いの人相が分る程近くになった時、鷹由紀は目が飛び出るかと思うほど驚いた。
悲鳴を上げそうになった口を咄嗟に抑えた。
「な、なっ……なんだそれ!!!」
最強の落ちが待っていたのだ。
走ってきた人物は確かに天使や悪魔、鬼でもない、その代わりに頭上に三角耳が付いていた。
「ねこみみ……にゃん?」
目の前にやってきたのは20代後半から30代頃と思われる男性だった。
男性と言ってもみた事が無い程の綺麗な人だ。キラキラ星が周囲に輝いているかのように見える。
鷹由紀の身長をゆうに越し均等に筋肉が付いているのだろう、凄くしなやかな身体だ。サラサラのスーパーストレートみたいな黒髪を後ろで一纏めにし、キラキラとした青い瞳が鷹由紀を心配そうに見つめていた。
猫耳付きで。
「キャッツだ……超リアルキャッツ…」
鷹由紀は美しい男から目を離せないでいながら、有名な猫のミュージカル衣装を連想させられるその姿に口に出さずにはおれなかった。
お誂え向きに服は昔読んだファンタジー世界の住人が着ていた様な中世ヨーロッパの人達の衣類に似ていて、編上げのサンダルと腰に毛皮のベルトをしていた。
それに猫耳なんてついているのだからそんあ連想をしても無理は無い。
「キャッツって何??」
「……っ言葉分るの?!」
興味シンシンな視線を向けて近づいて来た男は鷹由紀の言葉を理解し話しかけて来たのだ。
驚いた。
鷹由紀の外れた発言に返された言葉は綺麗な日本語だったのだ。
「おかしな事を言うね?君も僕も同じ言葉を話しているからこそ理解出来るんじゃないか、ん……あれ??もしかして君、異世界人??耳がないね」
綺麗な男は自らの猫耳を指さした。
「異世界人??」
「うん、君耳なしだから、この世界で耳なしの人なんか滅多に居ないからね、大抵耳なしは異世界人って相場が決まっているんだけれど」
「…異、世界……?」
聞き慣れない言葉に今度は鷹由紀が首を捻る番だった。
異世界とは自分の居る世界とは異なる世界。
ティーン小説の中では度々つかわれる題材だ。
主人公がある日突然事故で今まで住んでいた地球と言う場所さえどこにあるのか知らない人々の中に放り出されてしまう話。
鷹由紀はそこまで考え、不意に気が付いた。
(待て、それは今の僕の状態じゃないか……)
異世界にトリップしたと考えれば合点がいく。
死んだはずの自分、見た事も無い場所、そして目の前の猫耳の男に知らない内に通じている言葉。
次々と頭の中の複雑怪奇な形をしていたパズルが嵌っていく。
「マジっ?!……って言うかマジかっ……僕、本の読み過ぎで、本の世界に来ちゃったって事?」
泣きそうな情けない声を上げた。
異世界だとしたら鷹由紀の頭の中の疑問符が全部解決される様な気がしていた。
いや、こんなに当て嵌まる事は無い。
(多分、いや確実に僕は異世界にトリップして来ちゃったっぽいよね)
がっくりと力が抜けた。
鷹由紀は思いもしなかったこの場所の斬新過ぎる答えに眩暈を起こした。
「あああー!!事実と虚実は絶対に混同しない自信があったのに、身体ごと虚実みたいな世界に運ばれてきちゃうなんて、そりゃないよ」
混乱した頭を抱えて、この非現実的な事実を必死に受け入れようとしている鷹由紀に目の前の綺麗な男は黙って静観していた。
だが、どんなに待っても独り言を続け混乱に歯止めの利かない鷹由紀に、綺麗な男は鷹由紀の頭をポカンと叩いた。
「こらこら、一人で混乱しまくらない、ここにいるでしょ、私が、混乱するのは分るけれどもう一人混乱は終わりにしない?取敢えず君には耳が無くて、私には耳が付いているだけで言葉は通じるし、幸い私は君に危害を加えるつもりがないどころか、助けにやってきたんだから、幸運だと思って取敢えず落ちついてよ」
不機嫌そうに鷹由紀を見下ろした。
「貴方が僕を助けてくれるんですか?」
「耳なし異世界人をこの平原にほっぽどく程悪人じゃないよ、私の家はあそこだから取敢えずお出でよ、泊めてあげるから」
「……マジで?悪意なしで??」
ついうっかりと口を滑らすと男はギロリと鷹由紀を睨みつける。
「なに?君の世界は悪人ばっかりって事?それとも私の家に文句でもあるの?…別に私の事が信用出来ないんだったら断ってくれてもいいけれど、ここら辺は僕しか住んでないから、君僕の誘いを断ったら確実に野宿決定だよ」
「い、いや、そそんな疑ってなんで無いし、えっと泊めさせて下さい!!!」
野宿なんて冗談じゃない。
鷹由紀は慌てた。
「気分悪いんだけれど、疑われて…」
じっととした目で睨みつけられ、大変に居心地が悪い。鷹由紀は身を小さくさせて慌てて言い訳をした。
「なんだか異世界人である僕を凄くすんなり受け入れてくれたから、ちょっと違和感って言うか…」
「ああ、なんだそう言う事ね」
「すいません…失礼な事言って…」
綺麗な男はうんうんと頷いた。
「君は知らないかもしれないけれど、私達の世界で『異世界人』は別に珍しい事じゃないんだ、数年に一回定期的にどこから伴くやって来てね、この国なんて異世界人保護条約みたいなものもあるし、異世界人と僕たちの人種との間の子供なんて言うのも珍しくないんだよ」
「そうなんですか?」
「そっ、小さい頃異世界人の先生なんかも居て私はその方から学問を習っていた所為もあって、比較的私はこの世界でも異世界人慣れしてるから、君にも凄くフレンドリーな訳、分かった?」
「…はい分りました」
「よし!それじゃあ交渉決着って事で、初めまして異世界人の君、僕はルル、この一帯で木こりを営む普通の男だよ」
「木こり?!!!」
「あれ?何また文句?」
訝しげに視線を投げられ慌てる。
「いいや……なんて言うか……ルルさんの外見とのギャップが…」
「ギャップ?そうかなー、私の父も祖父も木こりだったから別に私的に違和感は無いけれど…きっと君の世界では違うんだろうね」
少なくともルルの様な美しい男は皆、芸能界やファッション業界で華々しく働いている人が多い。木こりと言うとどうしても筋肉ムキムキの男臭いイメージが強く、ルルの外見からはその職業は全く連想出来ないどころかかなりのミスマッチさを鷹由紀は受けた。
「あはは、そうですね、僕異世界出身ですから…」
これ以上怒らせない様に曖昧に笑って誤魔化すと
「あの僕は駒ヶ根鷹由紀(コマガネタカユキ)って言います、あの…今日はお世話になります」
ペコリと頭を下げるとルルは手を差し出してきた。
鷹由紀は慌てて頭を上げて握手を交わす。
「そんじゃ、鷹由紀で決まり、私の事はルルって呼んで、多分今日だけじゃなくて、一緒に住む期間が長くなるだろうからお互い上手くやろうね」
「はい」
ルルは鷹由紀に向かって上品な頬笑みを向け、何故か鷹由紀はぎこちなく視線を避けた。
憧れのアイドルと目があった時の様な胸がきゅーんとしそうになってしまったからだ。
(危ないなー僕、ルルさんは男なのに。でも反則だよ、こんな綺麗な男なんて今まで見た事無いし)
鷹由紀は頭をポリポリ掻いて情けなさを誤魔化す様に力なく笑うと「お世話になります」と再度告げるのであった。