猫とダンス4
ルルは言葉通り、夕方前に帰ってきた。
鷹由紀はいろんな物事があり過ぎてすっかり疲れ切っていた。
ルルが居なくなってから用意してくれた焼き菓子を食べていたはずが、いつの間にかに眠ってしまっていた。
帰って来たルルに肩を揺さぶられ起きると、頬に焼き菓子がひっつき、ルルはその姿を見るや否や腹を抱えて笑った。
「酷い!笑わなくっても……いいじゃん…」
「ごめんごめん……あんまりにも可愛くてさ」
「可愛いは余計だよ」
「怒るなよ、それにしてもよく眠ってた、やっぱり疲れてたんだろうな」
「…ん、なんかそうみたいで」
何時もならこんな失態はしないと言いたかったが、クッキー屑の跡が頬に残っている状態では説得力が無いだろうと鷹由紀は口を噤んだ。
「まぁ、私は良い物を見れて良かったけれどね、それに約束通り帰ってこれて良かった、今日偶々さ、町に市場が経ってたから鷹由紀の生活雑貨とかもついでに買ってきたよ」
「えっ?マジで」
「マジだよ、趣味云々の文句は言うなよ」
「そんな贅沢なんか言わないよ……えっと……ごめん気使わせて、それにお金も…」
初対面のルルに対して結構失礼な態度で接しているにも関わらず、ルルは細やかな気遣いを随所に見せる。
鷹由紀は急激にとても申し訳ない気分で一杯になった。
今も文句を言ってしまったが、鷹由紀はただ留守番して食べて寝ていただけなのに、ルルは鷹由紀の為に町まで馬を駆けたのだ。
「なんだよ、今さら恐縮しなくてもいいって、本当にこれから一緒に暮らすんだから色々必要だし、長引けば共有って言うのも無理が出てくるだろ、金って言っても大した金額じゃないよそれ位私に払わせておけってぐらいでいろって、もし恩義を感じるんなら、これから色々家の事を手伝ってくれればいいから、その前払いって形で考えておけ」
鷹由紀がそれは本音かと上目遣いでルルを見つめると、ルルは鷹由紀の頭を数度叩いた。
「最初会ったときからそうだけれど、鷹由紀は疑い深すぎるぞ、素直になれ、私を頼ってくれ」
ため息を付いてルルは微笑んだ。



ルルは買い物して来た物を粗方片づけると、鷹由紀に封筒に入った数冊の冊子を手渡した。
「何?これ」
「異世界申請の時に役人に貰った、それを読めってさ」
「ふーん」
鷹由紀は手渡された封筒から本を取り出す。
「異世界ガイドブックゥ??」
表紙には可愛いキャットガールが「おいでませニャン」と脱力する程の緊張感の無いイラストが描かれ、日本語・中国語・韓国語で表題がある。他にもアメリカ版・ヨーロッパ版等も入ってる。
本のページ部分を見ると色がいくつかに塗り分けられている。言語によってページが区切られている様だ。
「異世界人の言葉で書かれた、この世界の入門書みたいなもんだって、鷹由紀の外見の特徴を言ったら何冊か渡してくれたよ、読める本あった?」
「うん、これ…」
見せたのは脱力する猫のイラストが描かれた本だ。
「うわー何これ、まだこの世界に来て間もない人が見るイラストとしちゃ厳しいな、描いた人物疑うなー結構可愛いけれど」
苦笑いを浮かべる。
「取敢えずこの本にはこの世界の決まりごとや現状なんかが事細かに書いてあるらしい、この国に来た異世界人が数年に一度編纂している物らしから最新の情報だとよ」
「ふーん、じゃあちょっと」
鷹由紀は本をペラペラと捲った。
目を見張った。
中国語・韓国語・まだ鷹由紀の見た事も無い言語も記されていた。と言う事は世界中様々な人々がこの世界に落ちているという事なのだろうか。
そう言えば…そうだ。
言葉だ。
今さら気が付いたが、ルルと鷹由紀は最初から戸惑うことなく言葉で自然に意思疎通を買わせている。おそらくここの言葉と自分たちの言葉は全く異なるはずだ。
なのになぜ通じているのだろうか。
あまりに自然過ぎて今まで言葉の疎通に関してすっかり失念していた鷹由紀は、渡されたこの本にその答えがある様な気がした。
鷹由紀は早速この本の日本語のページを捲ると冒頭を読んだ。
『この本を手に取ったという事はこの世界に落ちて間もないという事だろう。
この世界の耳付き人は皆本物で、私達日本人は何らかの原因でこの猫耳が付いた人々が暮らす世界に落ちてきてしまっている様だ。
また言葉だが、これは他国の人々との情報交換の結果私達がこの世界にやってきたと同時にこの世界の言葉を母国語の様に話せる能力を賜っている様だ。
何故かはわからないが、この話す能力は貴方だけの特別な能力では無いという事を伝えておく。
この世界には数多くの人々がやって来てここで生を終える。現在収集した情報では誰一人我らの世界である地球に戻れた人はおらず、また戻る方法が記されている書物や伝承等も一切無い。
現在この世界にやって来て、様々な事に動揺しているだろうが、この事実に絶望しないで強く生きて欲しい。
この本はこれからこの世界で暮らす為の方法が事細かに記してある。
徐々に慣れながらこの世界の住人として生きて行く事を、願わくばこの本が貴方の助けになる事を祈って。
異世界書物編纂所』
「帰れないのか!!!!」
「え?何どうしたの?」
衝撃だ。
今まで色々な事があり過ぎて、自分の世界に帰るまで頭が回っていなかった鷹由紀は、冒頭部分を読んだだけで衝撃を受けた。
助けになるどころか爆弾を落とされた、そんな感じだ。
これが現実と言うやつか。
小説なら最後は帰る方法が見つかったりするものだが、流石は現実そう甘くは出来ていない様だった。
鷹由紀は椅子に座り残っていた焼き菓子を摘まんでいるルルに何でもない事を告げると、パタンと本を閉じた。
「もう読まないの?」
「うん、なんか疲れた」
「そっか、気の所為か少し顔色も悪い様だから、まっ無理する事は無いしね」
鷹由紀はその言葉に曖昧に笑って立ち上がった。
「そう言えばお土産あるって言ってたでしょ?」
「ああ、あるよ見る?」
「うん、勿論」
ルルは立ち上がりテーブルの上に置いてあった袋を探っていた。
「あー、ごめん。お土産もう少し後でもいい?」
「どうしたの?」
「外が暗くなって来てるからさ、先に晩飯作っていいか?」
「勿論、って言うか僕手伝うよ」
「いいよ、疲れてるだろ?」
「うーん、ただ座っていると色んな事考えちゃうそうだから……ダメかな?」
「………仕方がないな、今日ぐらいはゆっくりして貰いたいんだが」
ルルは軽いため息を付くと、しぶしぶ頷いた。
「それじゃあ手伝ってもらうか、今日は久し振りに市場に出くわしたから新鮮な葉野菜や日持ちしないが消化に良い柔らかいパンをを買ってきた、葉野菜はスープに入れて晩飯を作るか」
「はい、分かりました」
「よしっ、それじゃあ始めるか」
ルルはそうと決まると行動が早かった。
鷹由紀をキッチン近くの大きなテーブルに呼び寄せると、テーブルの上にジャガイモのに似た根菜と紫色の人参の様な物を出した。
「これの皮を剥いてくれるか?皮をむいたら千切りにして欲しい」
「お安いご用です、僕ずっと自炊でしたから」
「親はどうした?」
「居たよ、でも忙しい人達で、小さな頃からずっと一人でしたから自然に作れる様になりましたよ」
苦笑いを浮かべて鷹由紀はルルから小さな果物ナイフの様な物を受け取った。
話しながら器用に薄く皮を剥いていく鷹由紀にルルは感嘆する。
「上手なもんだ、私はずっと一人で食事を作っているが未だに皮むきは苦手なんだよね」
「ルルさんは手が大きいから、この刃物が小さすぎるのかもしれませんね」
褒められて悪い気はしない。
鷹由紀は根菜の皮を剥くと適当な大きさに切り分け綺麗に素早く千切りにした。
千切りも早いと散々褒められてしまい、気恥しくなった鷹由紀は少しぶっきらぼうにはいっと手渡す。
「サンキューもしかして良いパートナーなんじゃねぇ?鷹由紀って」
鼻歌を謳いながらルルは上機嫌だった。
ルルは予め竈に引いていた鉄板にバターの様な物を溶かした。
渡された根菜の千切りを、木で造られたボールに入れると粉と卵を手際よく混ぜてそれを鉄板で焼いた。
ジューと美味しそうな音と香りが部屋中に広がる。
ルルは次に鉄板の奥にある鍋に、干し肉と買ってきたという葉野菜を豪快に手で千切り鍋の中にぶち込んだ。
暫くすると部屋の中はスープと根菜が焼ける匂いで充満する。
「おいしそうー」
胃が匂いに刺激されてきゅーっと縮む。
「私が毎日食べている物で申し訳ないが、味は保証する」
「匂いだけでも涎が出そう、今日は色んな事があったからお腹すいちゃったよ」
「そうだな、早く食事にしよう」
鉄板の隅で買ったばかりだというパンを温めると、鷹由紀に横の棚から皿を二枚、スープ皿を二枚、それにカトラリー出す様に言い付けられた。
「食事はここで?」
「ああ、ここは調理台兼食卓になっているから、ああさっき野菜を置いたからそこらへんにある布でテーブルを拭いてくれないか?」
「はーい」
鷹由紀は食卓の隅に置いてあった布で綺麗に台部分を清めると、棚から出してきた皿をルルの傍に置く。ルルは鉄板の根菜を何度もひっくり返し、こんがりきつね色に焼きあげると皿の上に載せる。油で揚げた様に焼かれたそれは外面はカリカリでハッシュポテトの様だ。
それから床に置いてあった壺からピクルスの様な野菜の漬け物をトッピングした。
見た事のある形状のおかずに鷹由紀のテンションは一気に上がった。
「うわーおいしそー!」
香ばしい香りにお腹がぐぅっと鳴ってしまう。
今にも涎が出そうで何度も生唾を飲み込んだ。
ルルは美味しそうなハッシュポテトまがいの物に、棚から出してきた瓶に入ってきた琥珀色のジャムの様な物を添えた。
「メインの出来上がり、鷹由紀持って行ってくれる」
「了解です」
大きめの皿二枚を受け取ると鷹由紀はウキウキしながらセッティングした。
ルルは出来上がったスープと温めたパンを互いの場所に置く。
「さぁ座って食べようか?」
「はい!いただきまーっす」
座るや否や、鷹由紀は勢いよく食事を始めた。
まずはカリカリになっているハッシュドポテトまがいの物を。
ナイフとフォークで大きめに切り分けちょこっとジャムの様な物を付けて食べてみた。
「んまーいい!!」
味も知っている物とほぼ一緒だった。
カリカリの外見とほくほくの中身。
塩気の強い味に、琥珀色のこれまたリンゴと苺のあいのこみたいな味がするジャムが良い感じに合っている。
バクバクと大きな口で食べ続ける鷹由紀をルルは眦を下げる。
「気に行ってくれたみたいだね、安心した」
「凄い美味しい、なんだか僕の食べた事のある味に似てて、安心したって言うか……」
「そうなんだ良かった、違う環境に入って一番応えるのが食事と言う人もいるからね、食事が口に合うという事は心配要因が一つ減ったという事か」
「そう言えばそうかも」
頷きながら鷹由紀は食事を止める事は無かった。
そんな鷹由紀とは正反対にルルはゆっくりと上品に食事を始める。
木こりと言うから結構荒っぽく食事もするのかと思っていたが、まるで洗練された紳士みたいな仕草だ。
(ルルさんって本当に木こりなのかな??)
付き合えば付き合うほど木こりと言うイメージからは離れる。
(手、そうだ手を見ればわかる)
鷹由紀はルルの手を見た。
(仕事をしている人の手だ)
水仕事をやっている所為か手はガサ付いていて、力仕事をしている人独特の節くれだった太い指をしていた。指の筋肉が発達している証拠だった。
(あれ?って事はやっぱり本当に木こりなんだな、珍しいインテリ木こりって事なのかな??)
図書室なんかで本を読んでいるのが似合いそうな文官タイプのルルを鷹由紀はいつの間にかに凝視してしまっていた様だ。
見れば見るほど鑑賞に耐えうる容姿だ。
次第にただルルの美しさを鑑賞し始めてしまった鷹由紀の視線に、ルルが顔を上げ訝しげな顔をする。
「どうかした?」
「え、あっ、なんでもない本当になんでもないからごめん」
いけないいけない。
つい、じっと見入ってしまった。
鷹由紀は慌てて返事をすると誤魔化すかのように暖かいパンに手を伸ばし口にした。
「うんまーい!!」
パンも驚くほど美味くて声を上げると、一瞬流れた変な空気はすっかり吹き飛ばされた。
その幼いとも取れる行動にルルはに苦笑いを浮かべ、追求する事はしなかった。
何事も無かったかのように食事は進んで行った。