猫とダンス9

鷹由紀は有無も言わさず抱かれたままその建物の中に入って行った。
「いらっしゃいませ」
建物の中に入ると、濃い茶の重厚で大きなカウンターが目の前に現れた。
見慣れたホテルのカウンターとは違い、古い図書館にある様な重厚で彫刻が施されている。その濃い茶のカウンターの後ろには大きな扉付きの棚があり、床も濃い茶色で全て統一されていた。
パッと見で格調が高い場所だと伺い知れた。
カウンターの中には緩いウエーブの掛かった白猫耳の金髪美女が居り、突然入ってきた二人をにこやかに出迎えてくれる。
「サンケ登録に来たんだけれど」
ぶっきらぼうにルルが言うと金髪美女がにこやかに頷いて鷹由紀を見た。
「サンケ様ですか……もしかしてその方が」
コクリとルルは頷いた。
鷹由紀は金髪美女の視線が服を破り突き刺さる様に感じて居ても立っても居られなかった。男のプライドがこの抱きあげられていると言う情けない姿を美女に見せてはならないと警鐘を鳴らしているのだ。
だが、ルルの手は存外にしっかりしていて逃げる事も出来ず、ただ力なく美女に向かって愛想笑いを浮かべるしかなかった。
だが、そんな精気の無い鷹由紀の頬笑みにも美女は100点満点の笑顔で返してくれる。
(綺麗な笑顔)
滅多に見られない美女に微笑みかけられ、少々ぽーっとなっている鷹由紀を、ルルは忌々しげに呟いた。
「鷹由紀は現金だな…」
「なにそれ?」
キッとルルを睨みつけると、睨みつけられるのが心外だと睨みつけ返される。
「生意気だぞ!」
「どっちがっ!」
がるるると猛獣であったなら唸りそうな場面になったが、金髪美女がそんな二人を止める様に話しかけて来た。
「それでは確認させて頂いて宜しいでしょうか?」
「ああ、勿論だ、ほら確認してくれ」
まだ面白くなさそうにしているルルが、鷹由紀の頭巾を多少乱暴に取り外した。
ぴょこんと鷹由紀の耳が露わになる。
たった今言い争いで興奮した所為か耳の内側が少し色が変わっている三毛色の耳が現れた。
「まぁ、生まれたてですのね」
生まれたての証拠に耳に生えている毛がふわふわしている。育ち切った耳では生えていない毛なのだ。
美女は生えている耳を三方から確認すると、にっこりとほほ笑んだ。
「確かにサンケ様で御座いますね、ようこそいらっしゃいました、サンケ様、私はサンケ登録協会の中央支部のメアリと申します、さぁ御連れの方と奥の部屋へどうぞ、我らは新たなるサンケ様を歓迎致しますわ」
美女がパチンと指を鳴らすと右手にある奥の部屋へと続く部屋の扉が自動的に開かれた。部屋の奥は光で溢れている様で中身はよく見えない。
ルルは鷹由紀を抱き上げ、ままその扉の奥に戸惑いも無く入って行った。
「ルルさん、勝手に入っても良いの?」
「別に怒られないから問題ないでしょ」
「そんな問題?」
「多分ね」
心配そうな鷹由紀とは反対に落ちつているルルは、鷹由紀を抱き上げたまま堂々と室内へと足を踏み入れた。
部屋はドアが備え付けられている壁以外は、全てガラス張りのサンルーム仕様になっていた。部屋の中には大きな応接セットが置かれていて、眩しいくらいの光が溢れている。
部屋の隅には灰色耳の老紳士が佇んでおり、二人を上品で優しい頬笑みで向い入れた。
「此方のソファーにてお待ちください」
「ありがとう、ございます」
鷹由紀はその重厚な雰囲気に一気に緊張したようだった。
灰色耳の老紳士は、鷹由紀が思う執事の雰囲気そっくりで、どう対応したら良いのか戸惑っているようだった。
ソファーにやっと下ろして貰い、自分の足で地面を立てると言うのにぎくしゃくしてしまう。
「なにしてるの?鷹由紀」
ルルは含み笑いを浮かべながら鷹由紀とは打って変って遠慮なくソファーに深く座り、まるで以前からここの住人だと言わんばかりの貫禄だった。
(ルルさん落ちついているなー)
鷹由紀はルルのその姿に見とれ、自分もそのようにあろうと、しゃきんと背筋を伸ばし、両手を膝に置いてみる。
そのどうだと言わんばかりの鷹由紀の姿にルルは目を細めた。
「貴方が登録人か?」
部屋の隅に控えている老紳士にルルが尋ねると老紳士は首を横に振った。
「いいえ、只今登録人は此方へ向かっております、私はこの部屋付きの給仕人とでも御思い下さい」
「今日サンケ会は開かている?」
「はい、只今開かれております、是非ご登録が終了致しましたら其方の方もサンケ会にご参加を……、ああ、いらしたようです」
老紳士が話している途中に、外からカツカツと小気味よい靴音を鳴らして一人の紳士が部屋へと入ってきた。
「おやおや、これは麗しいサンケ殿と黒耳殿の組み合わせか…」
背筋を伸ばした姿は紳士として完璧で、キチンとしたエドワーディアン調のスーツがしっくり似合っている三毛色耳の紳士が現れた。
黒髪で一重の筆で描いた様な目元は日本人を思わせる。
懐かしい気持ちいっぱいになる容姿の持ち主だった。
紳士は二人の前に立つと、手を差し出し握手を求める。二人は求められるまま握手を交わすと、紳士は二人を座る様に促した。
「お初にお目もじ致します。私はサンケ会登録見届け人のリューザキと申します、既にお分かりでしょうが、貴方と同じサンケです」
紳士はリューザキと名乗った。
黒髪に毛の長い三毛猫耳を持っている男は優雅にソファーに座ると、片手に持っていた書面をテーブルに広げる。
サンケ登録の必要書類だ。
書類を広げ終わりリューザキが片手を上げると、先程から後ろに控えていた老紳士がリューザキの手に羽ペンを差しいれた。
(凄い…)
阿吽の呼吸とはこの様な事を言うのだろう。
鷹由紀が目を丸くしていると、リューザキは淡々と登録作業を開始し始め、先程の老紳士は鷹由紀とルルの為に御茶を用意してくれていた。
「さぁ、お茶も用意出来た様ですし始めましょう。失礼ですが住民登録書はお持ちですか?」
「これだ、昨日登録したばかりだが…」
リューザキが尋ねるとルルが懐から一枚の書面を出した。それを受け取るとリューザキはざっと見て頷いた。
「ふむ……これがあると手続きが楽になるので助かります…このご年齢でサンケ登録と言う事は……貴方えっと、駒ヶ根さんは異世界人でいらっしゃいますよね」
「えっ?!あ、はい」
突然話を振られて驚く鷹由紀に、リューザキは微笑んだ。
「よく見たら耳の毛もふわふわですね、生まれたばかりの証拠だ、しかもその懐かしい名前のフレーズ……日本人でいらっしゃるのか」
「え?日本人の名前を判別出来るんですか?」
「ええ、当り前です、私も日本から三十年前にやってきたサンケですから」
「えっ?!本当ですか?」
鷹由紀はあまりの驚きと興奮で立ち上がった。
目の前のリューザキが異世界人だなんて思いもかけない出会いだ。
「ええ、今私が知る日本からの異世界人は私と貴方だけになりますが、正真正銘の日本人です、三十年前の事でしたらお答え出来ますよ」
「うわっ……、う、嬉しいです、まさか日本人の方がいらっしゃるだなんてっ」
鷹由紀の興奮は止まらなかった。
無理やりリューザキの手を取ると握り締めぶんぶんと振り回す。
そんな鷹由紀にリューザキは苦笑いしながらも甘んじた。
「まさか私も日本人の方が登録にいらっしゃるとは驚きました、この世界にいらしたばかりでしょう、分からない事ばかりかもしれませんが、お力になります」
「ほ、本当ですか?」
「ええ」
もう昇天するかと思うほど嬉しかった。
ずっと孤独ではないと思っていたが、やはり同郷の感覚が似ている人が近くに居る。それだけでどれだけ心強い事だろうか。
「もう、すごく嬉しいです。同じ異世界人に会える処か日本人の方にお会いできるなんて」
興奮のあまり目さえも潤み始めている。
「私も来たばかりの時は不安ばかりで毎晩隠れて泣いたりしていたものです、同郷の方に会うのは30年ぶり、大丈夫安心して下さい、不安ばかりかもしれませんが、これから頑張りましょう」
そう言ってリューザキは鷹由紀の肩を若干強めに叩くとそのまま胸に抱きしめた。
細身だがその力強い腕に、安心して泣きそうになる。
この世界に来て少し涙腺がおかしい。
鷹由紀はともすれば嗚咽を上げて泣きそうになる自分を抑え込み、ぐっと堪えた。
「はい…はい、頑張ります、頑張るしかないんですよね…」
「うん、そうだね、それしか方法は無いから……?……っ!?」
べったりと抱きつく鷹由紀をしっかり抱きとめていたリューザキの目の端。
ソファーで座っているルルとリューザキは目が合った。
するとルルはリューザキを射殺さんばかりの目で見つめている姿を捉え、リューザキは苦笑いを浮かべる。
(もう、ナイトを見つけていらっしゃるのですね…)
リューザキはそっと鷹由紀を引き離す。
ルルの瞳が若干和らいだ。
「さぁ、抱き合ってばかりでは前に進みませんから」
「すみません…」
「いいえ、良いんです私も年がいもなく……スミマセンでした、さぁまずは書類のご確認をお願い致します」
恥ずかしそうに俯く鷹由紀はリューザキに促されソファーに座り直すと、テーブルに置かれている書面を見た。
登録とは名前の通り、名前や住所、身体的特徴等の記載場所があった。
リューザキは羽ペンを鷹由紀にも渡すと、
「此方にサインを、後ほど絵姿師に貴方の絵を描かせ、医師から血液採取や身体検査等も御座いますのでご了承ください」
「採血ですか?」
驚いた。
この世界には採血する技術が存在するのだ。
てっきり、街並みや恰好、生活用品等が中世ヨーロッパの様だったのでその時代程度の技術しか存在しないと思っていた。
「はい、ああ、不安かもしれませんが此方の医療技術もなかなかのモノですよ、採血技術も大分前からある技術です」
「わかりました」
同郷であるリューザキからの説明に鷹由紀は安心した。彼が言うのだから間違いはないのだろう。
「それでは此方にもサインを、貴方の特徴等は私たちの方で確認致します、此方の異世界での住所や年齢を記して下さい」
言われるまま何箇所かにサインを施し、必要事項を書き記した。
全ての書面にサインもしくは記入を終えると、リューザキは二人に軽く頭を下げる。
「これで終わりです、お疲れ様でした」
「え?これでですか?」
拍子抜けだった。
もっと難しい手続きがあるのかと思ったら、どうやら犯罪人等ではないのでごく簡単な手続きらしい。
「ええ、これでサンケ登録は終了致しました、貴方の情報はこの世界中にあるサンケ会に知らされ安全が確保されます、ようこそサンケ会へ、改めて歓迎致します駒ヶ根さん、貴方が望めば現王家の王宮や、各国の名家商家の受け入れも可能です、全てはサンケの幸せの為に我らサンケ登録所は存在しますゆえ、何か御座いましたら必ずご連絡下さい」
「ありがとうございます」
これで鷹由紀のこの世界での生活は保障された。
異世界人だけではなく、サンケでもある鷹由紀は望めば王宮にでも住める権利を経った今手に入れたのだ。
リューザキの少し大袈裟な言い方が心に焼けに響いた。
鷹由紀の一番の安心材料はルルだが、その二番目が経った今出来たのだ。
感動している鷹由紀に水を差す様にルルが肩を叩いた。
興奮しきっている鷹由紀が振り向く。
「なに?」
「取り込んでいる最中申し訳ないんだけれど、私は少し用事があるから席を外すから、鷹由紀はこれからサンケ会に参加したら?」
「えっ?」
いいの?と鷹由紀は目を輝かせた。
サンケ会は魅力的だ。
だが、と鷹由紀は思った。ルルと離れるのは不安なのだ。
「で、でも……」
戸惑った表情を浮かべる鷹由紀にルルは頭を撫でる。
「大丈夫、鷹由紀のサンケ会が終わった頃には迎えに来るから、折角の機会なんだから参加した方がいいよ」
「ええ、そうですよサンケ方々は何時も此方にいらっしゃる訳では御座いませんし、良い機会ですからご参加される事をお勧め致します」
リューザキの強いひと押しもあり鷹由紀は迷いを払しょくし頷いた。
滅多にない機会なら是非他のサンケにも会ってみたいと思った。
「じゃあ…参加します」
元気よく頷いた鷹由紀をルルは「良い子です」と満足そうに頷く。
が、鷹由紀はその手をうっとうしそうに叩き、何故か怒った顔でルルを睨みつける。
「ちゃんと迎えに来てよ」
「勿論だよ」
まるで親から引き離される様な必死な形相にルルは苦笑いを浮かべた。
「信用ないなー私」
「そんなことないけれど……」
ルルの一言でうろたえる鷹由紀にルルはほくそ笑んだ。
その姿を見て、言葉で嬲られていると感じた鷹由紀は、ルルのわき腹に肘鉄を食らわせた。「おうっ!」と痛がるルルに鷹由紀は幾らか高飛車に言いつける。
「もう!こんな時くらいちゃんとして、ちゃんと迎えに来てよ」
「大丈夫だって、ちゃんと迎えに来てあげるから……死人が出てこない内に家に帰ろうね」
死人と言う言葉を聞いて鷹由紀は顔色を変えた。
「ぎゃっ!そうだった!!長居しないからルルさんも早く迎えに来てよね!」
「はいはい、わかりましたー」
軽くルルは返事をすると、ひょいと立ち上がり扉に向かって歩いて行ってしまう。
そのあまりの軽さに、猜疑心を持った鷹由紀はもう一度念を押した。
「もうっ!ちゃんと迎えに来てよ!!」
興奮した鷹由紀はルルの背中に怒鳴りつけた。


そんな二人の行動をリューザキと灰色耳の老紳士はにこやかに見詰めていた。
「全く見ていて微笑ましい、それだけルルさんを頼りにされていると言う事なんですね」
リューザキは二人のやり取りを見て、後ろに控えていた灰色猫耳の男に呟いた。
「ねぇ、ベネディクトそう思わない?」
「ええ、とても仲が良い様に感じますね」
「だろ」
鷹由紀に気付かれぬよう笑いあうと、二人は互いを見つめあい昔を懐かしみながら微笑んだ。