猫とダンス2
僕こと駒ヶ根鷹由紀は某大学に通う20歳。
母はヨーロッパの血を引く金髪美人で父は会社を経営するビジネスマン。
仕事に忙しい二人は鷹由紀の事は二の次とあまり愛情を掛けられずに育った男だ。
榛色の髪に黒い瞳、に日本人より少し派手目の容姿はヨーロッパ系のハーフには有りがちな容姿だけれど、ちょっと華やかな容姿に反比例するインドア派。
箸にも棒にも引っかからない地味めな性格だと自負している。
幼い頃から本を愛し、辛い事も楽しい事も全て本から教わったと言っても過言では無い鷹由紀は、今目の前で起こった事実を飲みこめないでいた。
「………どういうことだ……これは……?」
鷹由紀が爆風の次に目が覚めた場所は広い草原のど真ん中に何故か座りこんでいた。目の前には青い空と草原が広がり、視線の先には頂きに雪を被った山脈が連なっている。左の方に屋敷林に囲まれた小さな木造の家が見える以外の人工物は一切なく、急いで自分の記憶を辿ってみるが、こんな場所東京都下にある大学の近所にあるはずもない。
周囲を探る様に匂いを嗅いでみると少し五香粉の様なオリエンタルな香りがする。どうやら鷹由紀が下敷きにしてしまっている草から香っている様だった。
下草を見てみると、イネ科らしく穂を付けていたが、こんなオリエンタルな香りのするイネ科の植物なんて聞いた事も無い。
「あっ!!」
そう言えば身体は。
鷹由紀は気が付いた様に体中を探った。
爆発地点近くにいたと言うのに、服に焦げた跡一つ、身体に傷一つ無かった。痛みも無く、打ち身一つない様だった。
「なんで…おかしいじゃないか……」
その不自然さに呆然とした。
目の前で起こったのは絶対に爆発だ。あの至近距離に居れば即死は確実なはずなのに、自分は何故生きて、そしてこんな所に飛ばされているんだ。
もしかして…ここが死後の世界なのだろうか?
鷹由紀は三途の川らしきものを探してみたが勿論見つからず、感覚的に自分が死んでいるとは思えなかった。
「じゃあ、一体なんで…」
身体は健康体だが、状況が飲み込めず立ち往生していると左にあった家から人らしきモノが歩いて来た。
どうやら先程から鷹由紀を見て居た様で、少し小走りに鷹由紀めがけて走ってくる。
鷹由紀は一瞬身構えたが、ここで逃げても致し方が無かった。
周りを見ると自然物ばかり草原の先には森が広がっていてこれから先人に会えるかどうかもわからないのだ。
善人か悪人かわからずとも近寄ってくるその人に事情を聞くのが一番の得策だ。
「すみませーん!!」
鷹由紀はラッキーとばかりに手を振り大声を上げた。
それほど彷徨わず時間も経たずに人に会える事は運が良い。鷹由紀はニコニコしながらなるべく怪しまれない様にと願い手を振っていた。
だが、近寄ってくる人物が何者なのか人相がハッキリとし始めると、鷹由紀は振っていた手を止めその人物を凝視した。
「ん?……んんん??」
目をごしごしと擦り、何度も見る。
「幻か?」
目を凝らし何度も見てみるが間違いなかった。鷹由紀の視線は近づいてきた人物の頭上に釘付けになる。
「……あの耳……なんなんだ……」
鷹由紀の前にやってきたのは猫耳を付けた男だった。
結構な距離を小走りでやってきたにも関わらず息が上がっていないその人は、猫耳に驚き動きを止めて座り込んだ鷹由紀を見ると、手を差し出してきた。
「大丈夫ですか?手を…」
「……マ、マジかよ」
言葉に反応出来なかった。
何故なら目の前のその変わった風貌に眩暈さえ感じたからだ。
(変態か?)
鷹由紀の身体は思わずその手を拒んだ。
それも通りだ。
目の前の人物は20代〜30代と思われる精悍な容姿をした男の頭上に可愛らしい猫耳が鎮座しているのだから。
「怖がらないで下さい、大丈夫ですから」
「………よ、寄らないで下さい」
本当に心配してくれているだろう感じは受けるが、声も態度も全く無表情だ。
その男は背が高くがっしりとした体格で、長い黒髪を後ろで一つに結んでいる。
顔は精悍で肉食系と言う感じではなく、品の良い顔をしていた。服は昔読んだファンタジー世界の住人が着ていた様な中世ヨーロッパの人達の衣類に似ていて、鷹由紀を更に混乱させる。
編上げのサンダルと、腰に巻かれた毛皮のベルト。
見れば見るほど、鷹由紀が初めて見る恰好であったが、一番の問題はその人物の頭にある耳だ。
頭上に。
なんの変態だ。
そしてなんの宗教なのだ。
アニメ見過ぎのオタク男なのか。
大の男が猫耳付けてるなんて、絶対になんか変な性癖を持っているに違いない、鷹由紀は男の手を素直に取れる訳がなかった。
(絶対手に取ったらなんかされそうだ…、されなくとも異常な感じの男とは一緒に居たくない)
幼い頃自称オタクと言われた女の子達に、アニメに出てくる王子様に似ているとストーキングまがいの事をされ下着や着替え写真を盗み撮りされた過去から鷹由紀は非常にアニメオタクや漫画オタクが苦手だった。オタクと言われると何かされるかもしれないとどうしても身構えてしまうのだ。
猫耳を付けるのはオタクの印と決めつけている鷹由紀はビクビクとしながら、身を固くした。
そんな極度に怖がる鷹由紀を男は宥める訳も無く、また怖がらせる訳でも無く、ただじっと手を差し伸べていた。
早くどこかに行ってくれと願っている鷹由紀の想いは伝わらず何時までもそこに居るのだ。
立ち上がってやっぱり逃げよう。
そう決めた鷹由紀が立ち上がろうとしたが、なんと腰から力が入らなかった。
腰が抜けてしまったのだ。
(こんな時にこれかっ)
自分の不甲斐ない身体に落胆しつつ、鷹由紀は自力で逃げる事が今出来ない事を知った。それならばせめて何かされそうになったら威圧できるようにと目の前のた猫耳男をぐっと睨みつけた。
すると、精悍な男の頭上にある、ピンと尖った三角の耳が存在を主張するようにピコピコと動いたのだ。
その動き質感。
正に近所でふらついている猫の耳そっくりで作り物ではないと分った。
「えっ……そ、それ………嘘だろう……動いた……本物?」
「ええ、本物ですが……それが、何か?」
「マジ?……つうか本当かよ……」
鷹由紀は愕然とした。
目の前の精悍な男は猫耳マニアなんかじゃない。触らなくても分る。
頭上にあるあの猫耳は本物の耳で彼の頭から直接生えているモノなのだ。
「嘘だ……嘘だっ」
ありえない、ありえてはならない。
(こんなファンタジー、僕の人生には必要ない)
猫耳男と自分が対峙している現実を信じたくはない鷹由紀は、突然自分の太股に手を延ばすと、思い切り内腿等辺をぎゅうううっと抓りあげた。
(夢であれ!!)
「痛っ!!!」
内腿から激痛が走り飛び上るほど痛かった。
「ゆ、夢じゃない……」
あまりの痛さにちょっと涙が出た鷹由紀はぐしゃりと髪を掻き毟った。
(なんて事だ……目の前に居る猫耳男は現実で、今居る世界も現実だなんて、これじゃあ小説の世界じゃないか…と言う事は僕の常識は一切ここでは通用しないという事なのだろうか…)
鷹由紀は目の前の黙っている男の風貌を見てその考えが当たっている事に気が付いた。
全く見た事の無い衣装と、世界。
「決定的か………」
脱力した。
認めたくなくとも、認めざるおえない。
自分はあの爆発でなんらかの原因で猫耳男が住む世界に送られたのだ。まるでファンタジー小説の様に。
これからどうしたらいいのだろうか……。
自覚した途端急に不安が胸の中に生まれた。
まさか人生でこんな突飛な出来ごとに見舞われる等想像もしていなかった鷹由紀は、今まで自分が築いてきたモノや家族を一気に失ってしまった事にやっと今気が付いたのだ。
鷹由紀はダメ元と思いながら今度は自分の服のポケットから携帯電話を取り出した。
一縷の望みを託して携帯電話を開いてみたが電波が無く通話が出来ない状態。
メールの受信を確認してみても結果は同じで電波が無いと表示されるだけだった。
「やっぱりか……」
携帯を閉じ電源を切る。
携帯電話のその状態が鷹由紀の立場を決定的にした様に感じた。
現実を受け入れれば受け入れるほど怖さが増した。
今まで読んで来た本の主人公達の様に、健気にそして前向きに受け入れる事等到底できない。実際は恐ろしいという気持ちだけが胸の中で膨大に膨らみ、同時に追いかける様に不安と寂しさに押し潰されそうになった。
恐ろしさに身体が震えあがり呼吸が荒くなる。
「どうしてこんなことに………」
鷹由紀が一人そう呟くと男は言った。
「異世界の方、大丈夫です、貴方に危険は無い安心して下さい」
異世界。
耳慣れない言葉に鷹由紀は男と視線を合わせる。真摯な視線が鷹由紀を見下ろしていた。
「異世界……ここは異世界なんですか?」
「多分、貴方にとってはそうでしょう…」
やっぱりそうかという思いと、嘘であれという思いが心の中で交差した。
「ここは……どこなんです……そして貴方は?」
「ここはネイギャッツのオールバーと言う草原地帯です。私はこの草原で木こりを営むルル」
「……ルル?」
「ええ」
「名字は?」
「名字ですか……私は平民ですから持ってはいません、この国で名字を持つ者は貴族のみです」
ネイギャッツ、オバール。
どの地名も耳にした事が無い。
やはりここは異世界なのだ。