猫とダンス3
「ああああっ!!!!!」
鷹由紀は突然大声を上げた。
許容量オーバーだった。PCならショート寸前だ。
「もうヤダ!ヤダヤダヤダヤダ!!誰か助け手に来てよっ!なんなんだよこの状態は!!!」
駄々っ子の様に鷹由紀は声を張り上げた。
震えも止まらずどうしてよいのか分からなかった。ただ、ただどうにもならない事を鷹由紀は本能的に分っているのか、この状況に対し、そして無情な人生に対して怒りを爆発させた。ルルはその様子を暫く黙って見ていたが、徐々に弱弱しくなり、次第に力なくなる鷹由紀の手を掴んだ。
手を掴まれギョッとした鷹由紀は再び手足をばたつかせる。だがルルは腕の力だけで起き上がらせると遮二無二暴れる身体を自らの胸に抱き寄せた。
「大丈夫安心して、…私が助けになります…大丈夫、大丈夫…」
先程とは変わらない抑揚のない声で何度もルルは大丈夫と繰り返した。
鷹由紀より大きい身体に包まれ、幼い子の様に抱きとめられた鷹由紀は、徐々に落ち着きを取り戻し暴れるのを辞めた。
「なんで……なんで僕が……ぁ」
胸の暖かさに鷹由紀の涙腺までも壊れてしまった様だ。
瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
どうしようもない寂しさと絶望がルルの胸に温められ少しずつ薄らいでいくのが分かった。
知らない人だ。
猫耳だし、悪人かもしれない。だ
けれども、今自分を助けて、そして縋れる人はルルしか居ないのもまた事実だった。
変態と決めつけた人物は実は普通の耳を頭から生やしているだけで、自分は異世界人で。もう自分で考えられる事を悠に凌駕した環境に鷹由紀は目の前の男に自分の人生を託してみようと思った。
こんなにも暖かい胸を持っている人なら信用してもいいかもしれない。
鷹由紀はルルの胸で抱きしめられながら小さく呟く。
「貴方は信用出来る人ですか?」
「ええ多分、自分ではそう思っています」
「僕を助けてくれる?」
「勿論、そのつもりでやってきました」
「……なぜですか?」
「…なぜとお聴きになるか…」
ルルは暫く考えたあと
「異世界の方だからではダメでしょうか?」
「でも僕は異世界の人間じゃないかもしれませんよ?」
「それはありません、何故なら貴方には耳が無い、この世界の住人は長短に関わらず頭上に耳を戴いているのです、頭上に耳が無い者は異世界人とここでは相場が決まっていますから、それに我が国では貴方の様な異邦人が定期的に現れるのです、頻繁にではありませんが、異世界人がやってきた時の法整備もされています、多分貴方が考えているよりずっと我が国では異世界人に対する受け入れは普通な事なのです」
無表情だった男がうっすらとだが微笑んだ。
自分以外に異世界人と呼ばれる人が頻繁にやって来ているという言葉に驚いた。
それが真実ならルルの態度も分るかもしれない。
「本当ですか?」
念を押す様に聞くとルルは頷いた。
「ええ、私も異世界人を見るのは初めてではないのです、異世界人を見つけたら見つけた者か、異世界人を保護する能力がある者が一旦引き取るのがの国の決まりなのです、大丈夫けっして悪くはしません、貴方は私に保護された後、王国申請局に異世界人登録が終わればこの国で暮らす教育を受けた後生活出来る術を与えられ、自由になります、何も怖い事は無いのですよ、ですからまずは我家へいらして下さい、粗末な家ですが暖かい寝床と食事だけなら提供出来ますから」
瞳の奥に灯る暖かい光を感じた鷹由紀はいつの間にかコクリと頷いていた。
「決まりですね、良かった納得して頂けて」
「あの…御迷惑じゃないのですか?」
「いいえ、迷惑ではありません、一人暮らしですから、実はよく旅人を泊めたりしているのですよ、周りに人家は無く寂しいので、正直貴方が来てくれて良かった、これで今日から一人では無くなります」
「寂しがり屋さんなんですか?」
仏頂面の男が少し顔を赤くした。
「ええ、そうみたいですね…」
その様が可愛らしくて鷹由紀は思わず笑ってしまった。そして
「僕も実は寂しがり屋だって今気付いたばかりですから、仲間ですね…」
「仲間ですか……」
「あの、本当にありがとうございます…お世話になっている間は精一杯お手伝いしますので、どうぞよろしくお願い致します」
鷹由紀はこれから世話になるであろうルルに頭を下げた。
「気にしないで、でも早く見つけられて良かった…この辺りは夜死人が出るので見つけられなかったら大変でした」
「……死人?」
「ええ、この辺りに出るモンスターみたいなものです、この世に心を残した亡者が夜歩きまわるだけなんですが、なかなかグロテスクで怖いんですよ」
「………それ、本当ですか?」
「ええ本当です」
良かった。
本当にこの人に拾われて良かったと鷹由紀は心底から思った。

「よろしい、それでは行きますか?」
「あ、はい……」
鷹由紀は男の言葉に立ち上がろうとするが、なかなか一度抜けた腰は治らない様で。
立ち上がろうと足に力を入れるのだが、肝心の足がふにゃふにゃで立ち上がるのは愚か、自分の足を動かす事さえままならなかった。
「これはダメですね……嫌かもしれませんが我慢して下さい」
ルルはそう言うと鷹由紀の自由にならない身体を抱き上げてしまう。
「うわっ!マジですか?!と言うか、あの、本当にいいですから」
「良いとは?もっと持ちあげろと?」
「違います!あのもう少し経ったら歩けると思うので降ろして下さい」
「それはダメですね、何時歩けるか分りませんなから、それに今さらです、先程から貴方の事を抱きしめていると思いますが…」
「……左様ですね」
鷹由紀は顔を赤くして頷いた。
確かにルルの言うとおりだった。鷹由紀は異世界にやって来てしまったという心細さから20歳の男にも関わらず目の前の男にしっかりと先程まで抱きついていたのだ。
抱きつくと抱きあげ。
かなり状況は変わるが、もう反抗してもルルは降ろしてくれない気がした。
「では大人しくしていて下さい」
「はい」
大人しくしているのが得策と、鷹由紀はルルの言われるままに抱っこされた状態でルルの家まで行くこととなった。
ルルの家は先程出て来た木造の家だった。
家は木製の丁度ルルの腰の高さ辺りまでの柵に囲まれ柵には赤い木の実がなった蔓が巻きついている。
庭には井戸と納屋、それに家畜を飼っているのか、家の後ろから馬の嘶きの様な声が聞こえて来た。
「ここが私の家です」
丸太を綺麗に削り積み上げた簡素な作りの家だった。
ルルは器用に鷹由紀を抱き上げたまま部屋の扉を開けると、ワンルームの広めの部屋が広がっている。
部屋の左手にはキッチンらしき設備と竈にテーブル、左側には少し大きめのベッドと机が置かれ窓際にはベンチがあり沢山のクッションが置かれていた。
男一人と言う割には埃っぽくもなく綺麗に片づけられている。これで綺麗なパッチワークや花等が飾ってあったらカントリー好きの女子には溜まらない家だろうと鷹由紀は漠然と思った。
ルルは身体の自由がまだ効かない鷹由紀を一旦ベッドに降ろす。
少し待っていて下さいと言い残すとルルは棚からコップを取り出し、鷹由紀の為に飲み物を用意した。
「飲んでみて下さい、心が落ち着くお茶です」
渡されたカップからは暖かい湯気と共に清く爽やかな香りがした。一口飲んでみると少し甘くてホッとする味だ。
「おいし」
「良かった口に合った様で、今日はこの世界に来て混乱されている事も多いでしょうゆっくりされて下さい、私はこれから用があり出かけますが夕方にまでは帰ってきます、待っていて下さいますか?」
「どこに?」
「異世界人を受け入れたからには役所に届け出をいち早く出さなくてはいけません、取敢えず私だけで貴方がやってきた事を仮申請してきます」
「だったら僕も……」
「ダメです」
「なんで?」
「耳」
そう言ってルルは自らの頭上を指さした。
「貴方には耳がありません、一発で異世界人と分り町に等連れて行ったらあっという間に人だかりになってしまいます、私達は大概好奇心旺盛で珍しい物を見るとじっとはしていられない性質が多くて、今日町等に行ったら明日からこの家の前には貴方と離したいという人々が列を成しますよ」
「えっ…それは困る」
この家の前に延々と続く列を想像してウンザリする鷹由紀にルルは頷いた。
「でしょ、なので来たばかりなのに一人にして申し訳ありませんが留守番お願いします」
「わかりました……でも…あ、気を付けて」
なるべく早く帰って来て下さいと言いたいがそれは無理な話だろう。
それに20歳の男として恥ずかしすぎる発言ではないか。心寂しいのをぐっと我慢して、笑顔を浮かべる鷹由紀に、ルルは鷹由紀の頭をポンポンと撫でた。
「早めに帰ってきますから、家を出ない様にして下さいね、夜は貴方にこれからのこと、それから貴方の聞きたい事等をお話しようと思います、疲れたら眠っていて下さい」
「分りました」
「直ぐ確認したい事はありますか?」
鷹由紀はトイレや飲み水の事等を尋ねると、ルルは手短に教えてくれた。
「もうありませんか?」
「あの……」
一つすっかり忘れていた事があった。
「なんですか?」
「僕は駒ヶ根鷹由紀、鷹由紀って言います……名前言い忘れちゃったんで……」
ルルは少しだけ表情を和らげた。
「あああ、そうでした。お名前をお伺いすることを私もすっかり忘れていたようだ、どうやら私も酷く動転していたようですね……では鷹由紀さんと及びお呼びしても?」
「鷹由紀って呼び捨てにして下さい」
「分りました、それでは私の事も呼び捨てで」
「それは出来ません」
「何故?」
「ルルさんは僕より年上に見えるし…それに僕は養ってもらう立場ですからこれから「ルル」さんってお呼びさせて頂きます」
ルルはそれ以上呼び捨てを強制する事は無かった。
「分りましたそれではルルさんで……よろしくお願いしますね鷹由紀」
「はい、ルルさん」
にっこり笑って二人向かい合い改めて握手を交わした。
ルルはそれから慌ただしく、外に行く為の用意をし、鷹由紀の為に口寂しければとカップが入っていた同じ棚から小さな四角いクッキーの様な焼き菓子と小さな赤い実が入った皿、それに果汁が入っているというタンブラーを用意してくれると早々に家を出て行ってしまった。
馬の嘶きが外から聞こえ、鷹由紀は焼き菓子を頬張りながら窓から外を見てみると、見た事も無い足に鉤爪をもった黒馬に乗って走り去るルルの後ろ姿が見えた。