猫とダンス14

「行くんだったら鷹由紀も早めに用意してくれる?」
「あ、うん分った」
まだ食事途中だった鷹由紀は急いで食べ始める。
ルルは鼻歌交じりに仕事の準備をしているのを尻目に、残りのご飯をミルクで流し込むとと「ご馳走様でした」と行儀よく食事を終わりにし、食器を洗い場に急いで置いた。
服を着替えて、腰に小刀を差し、髪を手櫛で整え昨日街に着て行った外套を服の上に羽織る。
「ねぇ、ルルさん今日はどこで仕事をするの?」
「家から少し離れた森の中だよ、そう言えばまだ鷹由紀は森に入った事は無かったよね」
「うん、まだここに来て二日目だから」
「そうだったね、色んな事があった充実した二日間だったけれど」
「確かに」
ルルと鷹由紀は見つめ合い苦笑いを浮かべた。
「それじゃあ、スティンガに乗って行くから騎乗の用意をしておいてくれる」
「馬で行くの?」
「うん、取敢えず切った木をどうにかしなきゃいけないから、スティンガでちょっと運び出したいんだ」
「へーそうなんだ」
スティンガは大きくて立派だからきっと小さな丸太だったら軽々運べてしまうのだろう。これはいよいよ面白くなってきたと、鷹由紀は期待に胸膨らませてしまう。
支度を先に終えたルルが外に出て行くのを見て、鷹由紀は乗馬用と思われる昨日履いていたブーツを履き続いて外に出た。
既にスティンガは鞍を付けられ厩舎から出されていて、外の庭草を自由に食んでいる。身体には大きな袋が既に括りつけられていてそこから太い柄が突き出ていた。
多分あれが木こりの道具だ。鷹由紀が想像していた物より大きく立派な道具に見える。
「スティンガ行くぞ」
ルルが声を掛けると、スティンガは素直に近寄ってくると頭を下げた。
ルルは愛しそうにスティンガの首筋を撫で朝の挨拶を交わすと、昨日の様にルルが先に乗り鷹由紀はルルの力を借りて馬に乗った。
「それでは鷹由紀様、これより私の職場にご案内致します」
仰々しく芝居じみた台詞で前方にある森を指さした。
「う、うん…」
(なんか僕が望んでいたVIP待遇と若干違う様な気が…)
「ではしっかり手綱を掴んで下さいね」
今日は昨日なかった鷹由紀専用の手綱が付けられている鷹由紀はその手綱をしっかりと握るとしゃんと背筋を伸ばした。
「そうそう上手」
昨日馬酔いもした事もあって、ルルは鷹由紀に気を使いながらゆっくりと森へと向かった。
牧歌的な景色の中、ゆっくりと進んだ。
森は草原を取り囲むようにある。緑濃いその森は大きな木々が茂る。馬はその中を獣道の様な細い道を通りながら中に入って行った。
外からは暗そうに見えた森だが、意外、中に入ってみると適度に日が差し込み心地よい木陰がそこかしこに出来ていた。
想像していたのとは全く違う。
「結構綺麗…」
「ん?なにが」
「森ってもっとジメッとしていてうっそうとしていると思ってた」
「ああ、そう言う森の方が多いよ、ここは私が居るからね」
「どういう事?」
「私はここの森で木こりをしているから、自分の仕事がしやすい様に手入れをしているんだ、森はね人の手を入れておくと木の成長も早くて健康に育つんだよ」
「木を切るだけが仕事じゃないんだね」
「そうだね、そう思われがちだけれど、木こりは森が仕事場だから森の管理人みたいな事もしてるんだ」
よく目を凝らして見てみると倒れた大木が綺麗に並んでいるのが見えた。木の将来性を見据えて間伐を行っているのだろう。
ヤブの様な場所も少なく、ルルが暇な時間を使って、その都度定期的に酷く枯れ枝等がつもった場所は整理していると言っていた。
鷹由紀が想像していた以上に木こりと言う職業は大変そうだ。
そんな話を聞きながら森にドンドン入っていくと、途中から幹の太い木が増えてくる。
森の深部に入ったとルルが教えてくれた。
深部になると、途端に鳥だけでなく鹿の鳴き声や小動物の鳴き声が聞こえてくる。
思わずキョロキョロと周りを見回してみるが、残念ながら動物らしき姿は見当たらなかった。
森に立ち並ぶ木達は当初よりも間隔が広くなり、今まで見られなかった花畑等もちらほらと見え始めていた。
「ああ、ここにしよう」
ルルがそう言って止まったのは広葉樹らしい少し立派な木立が増えて来た場所だった。
白い花が絨毯の様に咲いている所に二人は降り立つ。
鷹由紀が物珍しげに周りを見渡していると、ルルは仕事道具が入った袋を降ろし、その場にしゃがみ込んだ。
何をするのだろうと鷹由紀が覗きこむと、ルルは下に咲いていた花を数本摘む。
そしてその花をどこぞの騎士の様に立膝を付いて鷹由紀に差し出した。
「な、なに…ど、どうしたの?」
「ようこそ私の森に、鷹由紀」
綺麗なルルの青い瞳がまっすぐに鷹由紀を捉えている。なまじ容姿と恰好がピッタリ嵌るルルの姿は、まるでシンデレラにガラスの靴を差し出す王子の様だ。
そして鷹由紀はその靴を今履こうとしているシンデレラ。
その様子を自分に重ねてしまった鷹由紀は途端に眩暈がした。
何を乙女的発想になってしまっているのだろうか。
そんな自分に頭が痛い。
「は、は恥ずかしいんですけれど……」
取敢えず、自分の気持ちを伝えてみるがルルはまっすぐに鷹由紀を捉え、差し出した花を受け取ってくれる事を待っている。罰ゲームかと思うほど恥ずかしいこの状況に、今直ぐ逃げ出したい気持ちを抑えるので精いっぱいだ。
黒髪が朝日に照らされてキラキラと輝き、ルルの思慮深い青い瞳が鷹由紀を映していた。
「VIP待遇でしょ」
「…っ……僕、余計な事言ったんだね……」
きりりとした表情で言われてしまっては否定することも出来ず、鷹由紀はガックリと肩を落とした。
もう受け入れるしかないだろう。
(今度はニートから姫君か……)
今回の件は自分から招いた事だから文句も言えず、鷹由紀は大人しく花を受け取った。
「白い花は鷹由紀に似合うと思った、野花は安っぽいと嫌う女性が多いけれど、私は力強く健気な野花が大好きだから受け取ってくれて嬉しい、ほら、鷹由紀こうすると…」
そう言ってルルは鷹由紀の耳のあたりへ白い花を飾る。
「結構可愛いよ」
「……う、うん…」
満足そうなルルに鷹由紀は気を遠くさせながらも懸命に踏ん張っていた。
耳に花なんか飾って、これがルルじゃなかったら殴っている所だ。
だけれど相手はルル、鷹由紀はひたすら我慢していた。
逆らってはダメだ。
そうしたらきっとこの倍は恥ずかしい事を言われてしまう。
何故花が似合うのかと、とくとくと説得されそうだ。
「見た瞬間から鷹由紀は白い花が似合うと思ったけれど、本当にピッタリだ、このまま私の花嫁さんになっちゃってもいいかもね」
(今度は花嫁かっ?!)
ルルの口から生み出されるその甘い睦言に鷹由紀の意識はどんどん遠のく。
顔を赤くして遠い目をし始めた頃、漸く様子のおかしい鷹由紀にルルが気が付いたようだった。
語るのを一旦止め、
「あれ?もしかしてこれって鷹由紀が望んでいた物では無い?」
やっと気が付いてくれた。
既に我慢していただけでぐったりしてしまった鷹由紀はうなだれて頷いた。
「う、うん…比較的、違う……」
「え?そうなの?」
「第一、僕に花とかありえないし……VIPって普通こう言う感じじゃなくってもっと、男のプライドを擽る様な…なんつーのおべんちゃらまではいかないけれど、そんな対応だと思ってたんだけれど」
「そう言う想像をしていたとなると私がしていた事は…全然違うね…」
「あ、ええ、……まぁ、そういうことですね、で、でも確かにVIP待遇って言ったらVIPだったし……まぁ、いいです無理言って仕事に付いて行きたいって言ったの僕なんで、VIPじゃなくても、もういいです…えっと十分でした」
「そうなの?鷹由紀の口づけの代金としては安くない?」
「えっえっと……あーー、もうあれは気持ち悪いので忘れて下さい」
「気持ち悪い?まぁ確かに衝突事故みたいなキスだったけれど」
キスと言う言葉に鷹由紀は頬をカッと赤くした。
「もう、それは忘れて下さい」
「なんで?恥ずかしいから?」
ルルの容赦ないその言葉に目が回りそうだ。
「そ、そもそも僕からしたとは故、元はルルさんから代償を求められたからであって、僕の真意は男と何かとキスなんて冗談じゃなくって…あーもうっ!!だから結局はもうあーゆーのは沢山ですって言いたいんです!!もう、ルルさんあの事は思い出させないで下さい!!」
半分キレ気味にルルを睨みつけるとルルは驚いた様に目を見開いている。
鷹由紀の激昂とも言えるその姿が意外なようだった。
「そんなに嫌だったの?」
即座に頷いた。
「あーゆーのを嫌悪しない男性の方が僕の世界では少ないし、正直自分がもしターゲットでしたら不快でしかありません」
言った。
なんとなくルルにはハッキリと言わなくてはと思っていた。
ルルは鷹由紀に口づけられ驚いた表情を浮かべていたけれど、このまま鷹由紀が同性に対しても寛容だと思われたくは無かった。
ルルは一瞬戸惑った表情を浮かべ曖昧な表情のまま苦笑いをした。
何故かとても違和感のある表情だった。
「はいはい、分かりました、それじゃあここからはVIPも口づけも無かったって事で…」
「う、うん……わかってくれればそれで……」
軽口に聞こえるがやっぱりおかしい。
どこがおかしいのだろうか。
顔は笑っていているが何かが違う。
鷹由紀はルルを注意深く見詰めると思わず目が合った。
「なに?」
にこやかな顔のルルをまともに見てしまい、思わず顔を背けた。
ルルの全開のにこやか顔は心臓が飛び出そうな程綺麗なのだ。
(心臓に悪い……
思いがけないルルの笑顔攻撃に、胸を抑える。
「本当にどうしたの?」
「え……いいや、なんでもない…です、はい」
「そう…??ならいいんだけれど」
先程と同じ様に軽快な口調で首を傾げるルルは、いつの間にか違和感を払拭し、いつもと変わらない穏やかな表情に変っていた。
さっきのは気のせいだったのかな?
もしかしたらルルが先程の言葉で傷ついたのかと思っていた。
今までスキンシップが激しすぎたし、もしやルルは恋愛対象として自分を見ているのでは?と感じていたからこそ、今のタイミングでけん制の為に言ってみた。
だが、どうやらこの態度を見ると鷹由紀の考え過ぎなのかもしれない。
(自意識過剰だったのかな…)
ホッとしたが、心のどこかで寂しく感じている自分に笑える。
「なに、一人で笑ってるの?」
「あっ!ごめっ、気持ち悪くて」
いつの間にか笑っていた鷹由紀は慌てて表情を引き締めた。
「うん、気にしないけれど……あっ、そうだ」
ルルが思いだしたとばかり手を叩いて、にっこりと笑った。
「じゃあ、この花も無しだよね」
「え?」
「君には迷惑でしかないでしょ」
ルルの言葉の意味が理解出来なく呆けていた鷹由紀へルルが手を伸ばした。
ルルの手はあっという間に鷹由紀の手に握られていた手を取り上げてしまい、あろうことか奪った花達をルルは空に投げ捨ててしまったのだ。
投げ捨てられた花が鷹由紀の前で僅かな風に乗りストンと地面へと落ちた。
「なに…してっ」
鷹由紀の言葉は耳に入っていないようだった。
物悲しげに地面に落ちた花を鷹由紀が拾う暇も無く、ルルは足元に落ちた花達を踏みつける、そのまま無言で背を向けた。
「ルル…さん?」
「それじゃあ私はこれから仕事してくるね」
うわ言の様な声で呼びかけるが、ルルは全く何もなかった様にいつもの口調だった。
いつもと変わらない優しげな声。
だけれども違う。
感覚で分った。
さっきと同じだ。
同じ様な違和感。
ルルの声は目の前に居る鷹由紀の身体を通り過ぎ、あらぬ方を向いている様に感じる。
とても寂しい。
まるで居ない人の様な扱いだ。
「どうしたの?」
様子のおかしいルルに詰め寄ろうとしたが、ルルは鷹由紀を避ける様に一足早く歩きだしてしまう。
大きな仕事道具を肩に担ぎ、鷹由紀の声に答えぬまま、木々が乱立する中へと歩いて行ってしまった。
「ルルさんっ!」
待って!と慌てて声を上げた。
(どうしたの?ルルさん…)
途端に様子のおかしくなったルルに鷹由紀は非常に慌てる。
自分自身何故慌てているのか理由も分らず、鷹由紀は咄嗟にしゃがむと、無意識にひしゃげて可哀想な姿になった花を掴んでルルへと駆け寄る。
何故だかそうしなければならないと思った。
ルルへと追いつくと肩を持って振り向かせ、向かい合った。
「なに?」
「なんで、捨てたの?」
ひしゃげた花をルルに見せつけ、鷹由紀は尋ねる。
「だって、いらないんでしょ」
「要らないからって、摘んだ花を捨てる様な人じゃないでしょ?」
「まだ知りあったばかりなのに私の全部が分るって言うの?鷹由紀は私の事を全部知らないのだから分った様に口を利かないで欲しいな」
そのルルの冷たいとも言える言葉にしり込みしそうになるが、鷹由紀は勇気を奮い立たせた。威嚇に呑まれてしまったらそれまでなのだから。
ぐっと両足を踏ん張り声を大きくした。
「えッ……で、でも少なくとも摘んだ花を捨てちゃダメだって事は知ってる人だと思う」
「じゃあ、捨てちゃダメって知らなかったんだよ、それだけだ」
「じゃあ、ってなんだよ、知らないなんて嘘言わないで」
鷹由紀のその言葉に居心地悪そうに視線を反らせるルルに鷹由紀は詰め寄った。
「なんで目をそらすの?」
「鷹由紀と合わせたくないから」
結構ショックだ。
鷹由紀は一瞬動きを止めてしまう。
好きなルルから否定されるのは結構ヘビーだ。
自然と声が震える。
「なんで?」
「そんなの私の口から言わせるの?鷹由紀は私の口から聞く勇気は持ってる?覚悟はある??」
「……えっ?」
今度は鷹由紀が口を閉ざす番だった。
なにを言われるのだろうか、鷹由紀はルルの表情から感情を読み取ろうとしたが、その無表情ともいえる顔からは何も得られなかった。