猫とダンス16

家に着いてからのルルの行動は早かった。
粗方の荷物はまだ固まって一か所にあったからそれを入れるだけだったけれど、あっという間に麻袋みたいな物に入れて用意をしてしまう。
「鷹由紀はそこで待ってて」
忙しく身体を動かしながらもルルは鷹由紀へジュースを差し出してくれる。
自分は馬を操り、鷹由紀より動いていると言うのに。
「ありがとう」
カップを持ち俯いてしまった。
「あ、あの僕も手伝い…」
「いいよ、もう終わっちゃったからさ、後はスティンガで外出するだけ、ちょっと外に行ってスティンガの様子を見てくるね、鷹由紀はジュースを飲み終わったら出ておいで、それから街に向かおう」
足早にルルはそう言うと出て行ってしまった。
部屋に一人残された鷹由紀は何も言う暇も無くただ座っていた。
ぐるりと部屋を見る。
まだ慣れない生活で慣れない場所だけれども、これでお別れかと思うと感慨が高ぶる。
自然に目じりが湿っぽくなってしまう。
よく考えれば、と言うか考えなくても産まれて初めて甘やかされていると実感した時を過ごしたと思う。
短期間に大好きになったルルと別れる日が自分が言った言葉でこんな早くにやってくるとは。
「僕が馬鹿なんだよね……」
大きなため息をついて涙を誤魔化し、テーブルに突っ伏す。
「あんな事言わなきゃよかった…」
でも言ってしまった事は取り消す事は出来ない。
自分で招いた事だから、仕方がない事なのだ。
謝って許してなんて言っても結局はルルを受け入れなければ問題は解決しない。
ただ、こうなる事の時を早めただけだとは分かっているけれど。
甘い時間をもう少し過ごしたかったと思う。
僕はこの世界でサンケと言う特別な存在らしいけれど、自分を特別にしてくれる人と一緒に居られないなんて笑える。
その原因が作ったのも自分だから馬鹿で笑える。
「て言うか笑うしかない…」
鷹由紀は一人そんな皮肉に笑って、一気にジュースを飲みほした。
まるで鷹由紀の気持ちを代弁するかのように甘酸っぱいジュースだ。
もう、出て行かなくては。
この空間から。
外ではルルが既に騎乗し鷹由紀を待っていた。
鷹由紀は立ち上がりカップを片付けると外へ向かった。
扉を開け、外に出ようとしたが、一旦振り返る。
もう一度みておきたかった。
大きなテーブルを見つめると、二人で楽しく取った食事の風景が目に浮かぶ。
「やばっ…また泣きそうだ…」
グッと詰まってしまう自分に慌てて扉を閉め外へ出た。
決別だ。
この家と、ルルとの。
そう感じた。

外に出るとルルは既にスティンガの世話を終えたらしく、既に騎乗し鷹由紀を待っていた。
呑気に草を食んでいたスティンガだったが、鷹由紀の足音を感じ取るとチラリと視線をくれる。
「よろしくね」
するとスティンガが鼻で笑った気がした。
お前らしくないと言われている気がする。
スティンガに近づいた鷹由紀にルルは手を伸ばした。素直に手を掴み鷹由紀は騎乗する。
「じゃあ、行くよ…」
「…うん」
鷹由紀はルル前でスティンガに跨ると、しかと蔵を掴んだ。それが合図とばかりルルはスティンガの腹を蹴り、出発した。
スティンガは荒くれ者の馬の様に、兎に角早く走った。風景さえあっという間に過ぎる。まるで新幹線に乗っているかの如くだ。
ルルと話したかったが、こう早くては口を開くだけで舌を噛んでしまいそうだった。無理やり口を開くと「あううっ」の様に意味不明の言葉が漏れる。正直舌を何度も噛んでしまって、ちょっと水か何かで冷やしたいと思った。
何度か話そうと試してみるが、やはり上下運動が激しくて同じ事の繰り返し。
もしかしたら、ルルが鷹由紀と会話を持ちたくなくて速く走らせているのかもしれない。
そう勘づくと、無理に自分から話しかけるのも無駄な気がした。

王都に到着したのは少し日が傾いた頃だった。
以前見た様な市は立っておらず、家路に向かう人々やレストランらしき店には人の笑い声が溢れていた。住宅らしき建物からは夕飯の準備の匂いがしてくる。暖かい美味しそうな匂いが漂っていた。
焼き魚の匂いが多いのは気のせいじゃない。
やっぱり猫耳だから好物は魚なのだろうかと考え付くと、思わずクスリと笑いが漏れた。
「どうしたの?」
「魚の匂いがしたから」
意味が分らないとルルは首を傾げるが、正直に言うつもりは無かった。
勿論ルルも答えを求めているようには思えない、ただなんとなく話しかけただけの様だった。
「好きだったの?」
「ううん……べ別に…」
「そう」
会話は直ぐに終わってしまった。意識している所為かどうしてもぎこちない会話になる。
ルルは相変わらずこの街の人には人気なようで、知合いにあっては声を掛けられていた。
楽しそうに話すルルを見ていると、鷹由紀は妙な疎外感を受ける。
自分が部外者でルルと相手の交友関係になんやかんや言う必要も無いし権利も無いんだけれど、辛いと思った。
もう、関心がありませんと言われている様で、自分では驚くほどショックを受けた。
勿論、話しに入りたい訳じゃないし、紹介してほしい訳でもないのにおかしな話だ。
自分の不可解な気分に振り回され、鷹由紀はため息をついた。
ああ、あれに似ている。
鷹由紀は眼を閉じて思い出した。
冷たい部屋と夕方一人で帰る時に見た家族が繋いでいる手、家庭から匂う料理の香りと風呂の音。
思い出したくない風景がドンドンと見えてくる。
ダメだ、ダメだ。
こんなことを思い出しても自分には何にも得がないだろうに。
ぎゅっと手を握って自分を叱る。
もう疎外感を感じても大丈夫だろう。
嫌な事は見なければいい。
笑えばいいんだ。
かつての自分もそうしていたじゃないか。
この辛さは我慢すれば消えるのだ。
経験上知っている。
寂しくて泣きそうになったり、もやもやした気分を抱えても大丈夫だろ。
ほら口角を上げろ、楽しい事を考えて笑顔を作れ。
そうやって立ち直れ。
「一人でも楽しい」
それはオマジナイ。
大丈夫ルルから離れてもきっと楽しい。
だから大丈夫。
強い自分だ、また大切な人が出来なくても従来通り、楽しそうに見せればいいのだ。
ほら、大丈夫。
ね、大丈夫だよね。
鷹由紀は協会に辿り着くまでそう何度も呟いた。

協会に辿り着くと、幸いにもまだやっているようだった。
ルルは鷹由紀を降ろして、その後に続こうとした。
だが、鷹由紀はそれを断った。
「ここからは僕一人で大丈夫です」
「だが…」
ルルは渋った。
「これからは、もしかしたら僕一人で色々しなきゃいけないかもしれません、もうルルさんには頼れないから…あの、ありがとうございますここまで送って来てくれて、荷物降ろしますね」
鷹由紀は馬上のルルを見た。
眉根を寄せて辛そうな顔をしている。
バーカルル、お前が僕の事を好きにならなければこんな事にならなかったんだよ。
そんな憎まれ口を叩きたいけれど、そんな事言える訳がなかった。
いそいそとスティンガに取り付けてあった麻袋を降ろすと鷹由紀はくっと口角を上げて頬笑みを浮かべる。
最後くらい笑って感謝して別れると決めた。
「大丈夫、最近会ったばかりだからきっと覚えてくれていると思うし、ルルさん暗くなったら大変だから戻って」
そうじゃないと辛い。
「鷹由紀……」
「ありがとう、僕ルルさんにお世話になって恩返し出来なかったけれど、一人で必ずなんか出来るようになったらお礼にいくから」
「……」
ルルは辛そうに目を顰めた。
今生の別れみたいだ。
でも、もしかしたらそうなるかもしれない。
「だから、さようならルルさん」
しっかりとルルの美しい顔を見た。
綺麗な顔だ、何度も見とれた顔だった。
最後くらい笑った顔を見たかったけれど、ルルはやっぱり悲しそうな顔をしている。
そんな顔をずっと見ていたくなくて鷹由紀はそのまま腰を折り、最敬礼をした。
感謝を込めて、精一杯。
「ずっと寂しくありませんでした、感謝ばっかりで……本当にありがとうございます、それからお元気で」
「鷹由紀も……」
言葉がおかしい、でも今これが精一杯だ。ルルの言葉が耳に入ると鷹由紀は頭を上げられなくなってしまった。
涙が眼球を沿う様に膜を作っている。
今頭を上げてしまったら涙を零してしまう。
ルルを困らせる様な事をこれ以上やりたくなかった。
地面だけを見つめてずっと頭を下げていると、スティンガが黍を返し歩きだしたのが見えた。
思わず頭を上げようとしてしまったが、ぐっと我慢した。
いつか、答えが出たらまたルルさんに会いたい。
それが良い答えか悪い答えかわからない。
でも絶対にまた会いたいと強烈に思った。
だから、それまでは…さよならです。
鷹由紀はルルが去るまでけして頭を上げようとはしなかった。
スティンガの足が見えなくなり、馬の蹄の音が聞こえなくなると鷹由紀はやっと顔を上げた。
目の前にはもうルルとスティンガは居なかった。
「やっぱ寂しいや…」
上げた顔の目元は涙がいっぱい溜まっていた。