猫とダンス17

一人ぼっちになってしまった鷹由紀は何時までも感傷に浸っている場合では無かった。
もうルルは立ち去ってしまったのだ。
これからは自分でなんとかしなければならない。
鷹由紀は目に浮かんだそれを袖口で拭うと、麻袋を引きずりながら協会の扉の前に立ちノックをした。
「すみません、昨日伺った者ですがリューザキさんはいらっしゃいますか?」
鷹由紀の新たなる一歩が始まった。


リューザキの家は協会から歩いて十分も掛からない場所にあった。
協会には例の白耳金髪美女のメアリが居て、何度も連れて行ってくれると言ってくれたが、近いと言うので再三の誘いを断りここまで来た。
リューザキは特別区と言われる場所に居を構えていた。
特別区は協会の丁度後ろの辺りにある地域だ。
ぐるりと区一帯は鉄柵で囲まれており、特別区に入る為には身分チェックが必要とされている。住んでいる人達は保護が必要とみなされた人達で、取分けお金持ちや貴族みたいな人だけが入れると言う場所では無いと聞いては居たが。
「うそでしょ」
鉄柵の中は芝が綺麗に刈り込まれており、門から延びる一本の道はゴミ一つ落ちてない。石畳も綺麗に同じ大きさにカットされており歩きやすそうだ。
中に広がるのは綺麗な住宅地。
人は歩いていなかったが、高級感が漂っていた。
ふと、以前TVで見たアメリカの高級住宅地を思い出す。
「ビバリーヒルズみたいだよね…」
鷹由紀はそう呟きながら歩いていると特別区の入口、警備している兵士たちの詰め所がある特別区門へと辿り着く。
ここは身分を証し認められなくては中に入れない。鷹由紀は若干の緊張と共に、門の外で警備にあたっている兵士に近づいた。
(うわっ…ぁ)
鷹由紀が近付くと、門の前で警備していた兵士二人がギロリと気迫ある目で睨みつける。
「あ、あの……」
勇気を振り絞り声を掛けてみるが、若干及び腰だ。
唯一の特別区への入り口であるここは、夜盗等に狙われぬ様にと門柵は特に高く作られており、鉄柱の一つ一つが太い。門の両脇には屈強そうな警備兵士達。
これで現代の鷹由紀にビビるなと言う方が間違えだ。
だが、鷹由紀は勇気を振り絞り。
「すみません…」
と更に声を掛けると、警備兵士たちはお互い目配せをすると、鷹由紀の前に二人並び、そして同時にベルを鳴らした。
なんだろうと思っていると兵士の詰め所から新しい兵士が出てくる。
(うわっ、ヤバイ、これって確実にターゲットオンされてるってことでしょう…)
あっという間に兵士に囲まれてしまた鷹由紀は、どうした良いのかと固まってしまっている。
何も悪事を働いても居ないのに、疑われる目で見られると言うのはなんと居心地の悪く、そして己を怯えさせるのかと。
内心冷や汗をダラダラと流しているのだが、表面上は外套のフードに顔が隠され、兵士達に囲まれても怯まずにすくっと堂々と立っているようにしか見えない。
「なにか御用か?」
「ここは特別区です」
「この名刺のリューザキさんにお会いしに来ました」
「リューザキ様に?」
鷹由紀は兵士の出す威圧感に押しつぶされそうになりながらも、自らの身分を証明する一枚の名刺を取り出し見せた。
名刺にはリューザキの名前と、実筆の住所の記載があった。
先程寄った協会のメアリから、リューザキの名刺を持っている事事態、自らの身分が一般人では無く、リューザキに近い物だと表す物だと聞いていたからだった。
兵士は名刺を手にして本物かどうか見聞している。どうやら、リューザキの本物の筆跡を持ちだしてきているようだった。
(うわー、思ってたよりガードキツイな…これなら大人しくメアリさんに連れて来て貰うんだった…)
今更後悔しても後の祭りだ。
「はい、あの名刺は昨日リューザキさんに頂いて」
「昨日…本当ですか?」
確かに悪人もそう言うだろう。
夕方に麻袋を持って目深に外套を被った成年男子一人。
紳士のリューザキの知り合いだと言っても全く説得力が無い。
怪しまれて当然だ。
「あの…多分これを見て頂ければ納得していただけるかと…」
鷹由紀はガックリと肩を落とし、そして伝家の宝刀の如く、自ら外套のフードを取った。
これでダメだったら協会に戻らないと思いながら。
だが効果は覿面(てきめん)だった。
「サンケ様ですかっ?!」
「なんとっ!!」
鷹由紀がフードを取ると、詰め寄っていた二人が同時に声を上げ、飛ぶようにして鷹由紀から離れた。
フードから現れた耳は三色色の三毛猫色。
自ら耳を指さし。
「あのーこれで信じて頂けましたか?妖しくないって?」
「あ……はい!十分です、失礼致しましたサンケ様だったとは…」
「あまり耳を出して歩くのはよくないと言われたので」
「確かに!」
納得した兵士は大きく頷き、失礼しましたと直角に腰を折り曲げた。
(おいおい、ただ三毛猫柄ってだけでこの扱いか…、まるで黄門様の印籠だな……なんだか複雑…権威をかさにきた悪代官っぽい展開で)
鷹由紀は先程とは違った居心地の悪さを感じ、すぐさまもそもそと外套のフードを被ってしまった。
「僕の名前は駒ヶ根鷹由紀です、最近サンケに登録されたばかりか、異世界人ですので、この世界に精通してはいなくって…あの……」
「ああ、先日通達があったサンケ様ですね、なるほど」
一人の兵士が納得した様に頷いた。どうやら鷹由紀がサンケに新たに登録されたと言う事を兵士たちは知っていた様だった。
サンケと分ると話が早かった。
兵士の一人がリューザキに連絡を取ってくれて、そのまま家まで案内して貰える事になった。背の高い圧迫感のある鉄柵門が警備兵二人の手によってゆっくりと開かれ中へと入り、導かれるままリューザキの家へと向かった。
リューザキの家は入口から約15分歩いた所にあった。
周辺の住宅より高い鉄柵に囲まれており、中の庭には背の高い木々が植えられていて中身を伺い知る事が出来なくなっている。敷地は周囲より少し広い様だ。
この土地にこれだけの敷地を維持できると言う事だけでサンケであるリューザキの力が伺い知れた。角を曲がり、リューザキ家の正面入り口門扉が見えると、そこに二人の人影が。
目を凝らしてみるとリューザキとヴェネディクトが連絡を聞きつけ外で待っていてくれていた様だ。
「リューザキさんー、ヴェネディクトさんー!」
鷹由紀はやっと見知った顔の二人に出会えた事に興奮して両手を上げた。
元気よく手を振り、足を速めて駆け寄ろうとすると、リューザキがいつの間にかに走り出し、あっという間に鷹由紀を抱きしめた。
「わっ!」
「よくぞ、頼りにして下さいました」
リューザキの力強い声と腕が鷹由紀を包んだ。
鷹由紀は持っていた麻袋を思わず地面に落とすと、溜まらずリューザキに抱きついた。
「捨てられちゃいまして…来ちゃいました」
「……そうですか」
「はい」
「そんな事もありますね」
リューザキの殊更落ち着いた声に、自然と肩の力が抜ける。
そんな事は日常、よくある事。
気にしなくてもいい。
リューザキは抱きしめたまま、鷹由紀に魔法の様に何度も言い聞かせた。
その言葉に涙腺が崩壊しそうになってしまったが、まだ外で警備の兵も居るので鷹由紀はぐっと堪えた。
女じゃないから大声で泣いたりなんて絶対に出来ない。
男の矜持に掛けそこだけはぐぐっと我慢した。
そんな我慢を察してなのか、ヴェネディクトが付いて来てくれた兵士に丁寧に礼を言うと、鷹由紀が気が付かない内に彼を帰してくれている。
「…駒ヶ根さん、もう私達しかおりませんよ」
「は…いっ」
ヴェネディクトの優しさに溺れない様に、鷹由紀はなるべく瞬きしない様にと頑張っている。
その頑張りを察したのかリューザキがクスリと笑う。
「どうやらヴェネディクトの行為はお節介だったようですよ」
「何のことですか?」
「おや、知らんぷりですか」
「ですから何の事かわかりません、それよりも駒ヶ根様を家の中に早くご案内しましょうリューザキ、夜の帳が下りれば寒くなる」
「そうですね、お会い出来た事に興奮してしまって、とんだ不調法を」
リューザキは慌てて鷹由紀に謝罪した。
「駒ヶ根さんこんな外で立ち話をしてしまい申し訳ありません、さぁ、家の中に入りましょう」
「あ、はい……」
鷹由紀はリューザキにしっかりと手を握られていて、そのまま引っ張られる様に歩きだす。
慌てて麻袋を持とうとするとその袋は二人の後ろに居たヴェネディクトがひょいと持ってしまった。
「あっ!」
「これは私が持ちますので、それよりリューザキに付き合って下さい、貴方が此方へ来て下さって本当に嬉しいようなので」
「は、はい」
「余計な事は言わないで下さい」
リューザキがヴェネディクトを睨みつけたが、心から鷹由紀の来訪をよろこんでくれているのが分る。ぎゅっと握られた手は消して離さず、リューザキは今気が付いたかのようにああと声を上げた。
「スミマセン、ちょっとこれを持っていて頂けますか?」
そう言って手渡されたのは白いハンカチだった。
「先程からもこもこしていたので気になって…申し訳ありませんがお願い致します」
有無を言わさず持たされたハンカチ。
鷹由紀の目には今にも零れそうな涙が溜まっている。
突然渡されたハンカチに戸惑い、二人の顔を見て伺おうと考えたが不思議とリューザキもヴェネディクトも何やら二人で話している様で視線がかち合う事は無かった。
これ幸いにと鷹由紀はそのハンカチでそっと眼に溜まっている涙を拭き取った。
「さぁ!駒ヶ根さん、ようこそいらっしゃいました、我家へ」
目隠し用の林を抜けると、芝生の庭があり、その先には木造で作られた可愛らしい洋館が現れる。
控えめな二階建、本館と別館を繋げる渡り廊下は二階にあり、小さくてかわいらしいアーチがまるで川に立て掛けられている橋の様に作られている。
屋根は銅板葺きなのだろうか緑青が吹いている様に見えた。
随所を見るととても手間が掛けられた建物なのだが、ぱっと見はお伽噺に出てくるような雰囲気だ。
「わぁー、かわいい」
「小さいでしょ、二人だけで住んでいるので、小さめに作ったんですよ」
「さぁさぁ、駒ヶ根様、早くお入り下さい暖かいお茶でも飲みましょう」
「お伽噺の中に出てきそうな感じですね」
「私の雰囲気から宮殿の様な所に住んでいると思ったのではないのですか?」
「……えへへ」
その通りだった。
紳士然としたリューザキには白壁の大きな西洋建築が似合っているし、勿論そんな場所に住んでいるのだろうと思い込んでいた。
誤魔化して笑うと、リューザキが苦笑いした。
「まぁ、私はそんな感じですからね、仕方がありませんが、元来窮屈な物より、どちらかと言うと温かみのある可愛らしい感じが好きなんです」
以外だ…。
リューザキならキラキラしたド派手なベッドに寝て、昔の貴族服を着ていたって納得出来そうな雰囲気の人なのに、もしかしてウサギとか女の子が好きそうな雑貨とかが好きなのだろうか。
大学の女の子達が楽しそうに雑貨屋の話しをしているのを思い出した。
「まぁ、そんな事はおいおいね、ささ、入って下さい」
「ようこそ、我が家に…」
ヴェネディクトが大きな玄関木戸を開き、鷹由紀を室内へと招き入れた。
暖かな光が室内から漏れ出し、室内に一歩入ると暖かな空気が流れ、心地よい香りが漂っていた。
なんだか、ホッとする。
鷹由紀は外套のフードを脱ぎ、玄関ポーチをぐるりと見回した。
玄関ポーチは天井まで吹き抜けになっており、豪華なシャンデリアが吊り下げられている。
壁は漆喰の様な白い物で塗り固められており、花摘みをしている少女や驚りを踊っている風景が描かれたタペストリーが飾られていた。
「こんな所で立ち止まらずに、ささ」
鷹由紀はリューザキに導かれるまま、居間へと案内された。
居間は廊下の突き当たりにあった。
温かみのあるミルクティー色の絨毯と控えめなライティング。
部屋の中央にあるテーブルには既にお茶が用意されており、小さなケーキやクラッカー等が並べられていた。
まずはと、豪奢な猫足ソファーに座ると、ヴェネディクトが絶妙なタイミングで鷹由紀の前にあるカップにお茶を注ぐ。
暖かい湯気が上がり、フカフカのソファーの感覚も手伝ってか、ほっと一息ついた。
「まずは心を落ち着かせて、お茶でもお飲みになって下さい」
「頂きます」
用意されていたお絞りで手を拭くと、華奢なティーカップに口を付けた。
ふんわりと香り高い紅茶の様な香りがする、喉越しも全く似ていて鷹由紀は驚いた。
「……?!これ紅茶ですか?」
「ええ、そっくりでしょ、この国の物では無いのですが市場で見つけたんですよ」
もう一度確認する様に口を付けるとやっぱり紅茶に似ている。
鷹由紀はもう一生口に出来ないと思っていた紅茶に出会えた事でテンションが上がったのか、あっという間に飲み干してしまった。
カチャリと空になったカップをテーブルに置くと、鷹由紀は自分の失態に気が付いた。
(あちゃー、やった、やったよ、僕)
常日頃はこんな無作法する人間では無い。
日々いろいろあり過ぎて、最近の鷹由紀は少しネジが緩んでいるようだった。
親しき仲にも礼儀あり。
紳士然としたリューザキ。
きっと躾やマナーにも厳しいはずだ。
今日から世話になりたいと思っている人のまで早速失態を…。
おそるおそるリューザキ達二人を見ると、にこやかに鷹由紀を見守っているだけだった。
「美味しかったでしょ、私も最初見つけた時は一リットル飲めると思いましたよ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、本当です、それどころかヴェネディクトにそれから毎日飲みたいとリクエストしましてね」
「それ以来、私はこのお茶を探す為に市場と言う市場、お茶問屋と言う問屋を駆けずり回った次第です」
昔を思い出したのかヴェネディクトはうんざりした顔をした。
それが面白くて思わず鷹由紀は笑ってしまった。
何時も澄ましている顔のヴェネディクトの顔はその様子のひどさを十分表している。
汗水垂らして探し回った姿が想像出来てしまったからだ。
腹を抱えて笑っていると、
「あー、よかった」
「へっ?」
リューザキが突然大きな声を上げて、ソファーにどんと持たれた。
「貴方の笑い声を聞いて安心しちゃいました、まだ色々悩む事も不安になる事もあるかと思いますが、大丈夫、貴方にはこのリューザキとヴェネディクトがおりますから」
「左様です、リューザキは貴方がいらして事の他嬉しい様ですから、何時までも居て下さって構いませんからね」
ヴェネディクトとリューザキは立ち上がると、鷹由紀の両脇に座った。
そして互いに鷹由紀の手を握り、頬にそっと口づける。
「私達の家へようこそ、鷹由紀」
それは暖かい口づけと思いが籠った言葉だった。