猫とダンス18

「くすぐったいですね……なんだかお二人の子供の様だ、僕」
口づけされた事に驚きつつも、暖かい二人の眼差しに心が落ち着いた。
照れ笑いしながら、慣れない状況に俯くと、ヴェネディクトが良い案だと乗ってきた。
「そうですね、それでもいいかもしれません、私達には子供は出来ませんから養子でもと予てから思っていた所です、どうです?」
「それはいい案ですね、そうすれば駒ヶ根さんも身分が保障されますし…」
「えっ?!」
真剣に検討し出す二人に鷹由紀は焦った。
突然の申し出に豆鉄砲を食らった様な顔になると、二人は途端に吹き出す。
「もうっ!なんですかからかったんですかっ?!」
「そんな事はありませんよっ、私としてはリューザキと同じ世界の方が養子になって頂ければ嬉しいですから」
「それでは駒ヶ根さんに対して失礼ですよ、ヴェネディクト、まるで異世界人ならだれでもいいと聞こえます」
ギロリとヴェネディクトを睨んだリューザキは、直ぐに鷹由紀の手を取った。
「冗談では無いのです、私達異世界人は身寄りがないのですから、駒ヶ根さんさえ宜しければと……私は幸いヴェネディクトが直ぐに居てくれたおかげで順調に暮らしてはいますが、…ねっ、どうでしょうか?」
キラキラした目をして鷹由紀を見つめた。
文脈が全く繋がっては居ないが、リューザキの情熱を感じた。
要は鷹由紀を養子に欲しいと思っている熱の強さは実はリューザキの方が強いって事だ。
え、えっと。
どうすればいいんだ。
突然愛情あふれた両親が出来た様な状態の鷹由紀は、二人の顔を何度も見ながら応えられずにいる。
それもそうだろう、突然養子の話なんて尋常では無い。
戸惑い、何度か考えを巡らすが否定も肯定も出来ず結局絞りだした答えが
「あの……じゃあ、名字では無くて名前から呼ぶ事から初めて下さい…」
「お名前をお呼びしてもよろしいのですか?」
またリューザキがキラキラした目で見つめてくる。
それに気圧されて頷くと、途端にギュッと抱きしめられた。
「嬉しいです、この世界で同郷の者が同じ時期に転移してくるのでさえ奇跡的だと言うのに、同じサンケでそして私と養子縁組をして下さる覚悟を持って下さるだなんて」
もう泣いてしまうのかと思わんばかりの勢いに、覚悟はまだ出来ては居ませんと言えなくなってしまった鷹由紀は、助けを求める様にヴェネディクトを見た。
すると彼はリューザキを蕩けんばかりの眼差しで見つめているだけで、鷹由紀の視線に気が付いてもうんうんと頷くだけだ。
(ダメだ…もう確実に養子にされる………)
しかし鷹由紀自身嫌では無かった。
この世界に来て親切にしてくれたリューザキに悪い感情は無く、寧ろ頼りにしている部分が大きい。
そんな相手に求められて嫌なはずがなかった。
まぁ、結婚する訳でもないからいいか、と軽い気持ちで居るしかないだろう。
鷹由紀は愛想笑いを浮かべながら、
「お手柔らかにお願いします」
と誰も聞いてくれていないであろう台詞を虚しく呟いた。


あれから、皆で食事を取った後に鷹由紀は漸く部屋に案内された。
部屋は可愛らしいカントリー風。
キルト加工されたベッドカバーにレースの天蓋。何故かベッドには大きなクマみたいなぬいぐるみが置かれている。
ベッド近くには小さなテーブルセットと、文机。
果てしなく少女仕様の部屋だった。
部屋のあり様に若干腰が引けている鷹由紀にリューザキが苦笑いを浮かべた。
「男所帯でむさ苦しいからと……」
「潤いを求めてと言う事でしょうか?」
「まぁ、そんな所です…、部屋は駒ヶ根さんの好きなようにして頂いて構いませんので、今日は此方で我慢して下さい」
「別にこれでいいです…」
鷹由紀は笑いながらベッドに座った。
「僕特にこだわりもありませんし、こんなフカフカのベッドで眠れるだけラッキーだと思ってますから」
「本当ですか?本当にこのままでいいんですか?」
「はい」
「本当に嫌だったら変えていんですよ」
鷹由紀の真意を探ろうとしているリューザキだが、心なしか嬉しそうにも見える。
鷹由紀はこの家具達が全部リューザキが好きで集めているのではと睨んでいた。
エントランスのタペストリーや、お茶の際に出された小花柄のティーカップ、ちょっとしたテーブルの上に掛かっている布には小さな刺繍が入っていた。
今目の前のリューザキは自分が変えないと言った時の表情もキラキラしている様な気がして。
多分、ちょっと乙女チックな物が好きなのだろう。
鷹由紀はそう自分で結論付けるとここはリューザキへ男の見せ所だと。
「僕、抵抗ないですし、寧ろこういうの好きです」
「本当ですかっ?!」
ほら、キラキラが倍増した。
鷹由紀の勘は当ったのだ。
だが、この受け答えが後々鷹由紀を悩ますこととなってしまう。
鷹由紀が好きと言ってくれた事がよほど嬉しかったのか、リューザキは終始ハイテンションで部屋の使用方法を一通り説明し部屋を出て行った。
「じゃあね、明日はゆっくりしていて、朝も起こさないからお腹が空いたらこの机の上にあるベルを鳴らしてね」
「分りました」
「それじゃあ、おやすみなさい」
バイバイと可愛らしく笑うリューザキにいままでのイメージが崩れ去る。
「おやすみなさい」
そう言うと鷹由紀はゆっくりと扉を閉めた。
「結構あの人って可愛い感じなんだ……」
自宅で気を抜いているからなのだろうか。
紳士然としたリューザキも素敵だが、今の様なリューザキも良いと思う。
これからのリューザキとの付き合い方も、今のを見るとより一層仲良く付き合えるように感じた。
「ああー」
うーんと鷹由紀は大きく伸びをした。
鷹由紀は漸く一人になれたのだ。
部屋の花柄のラブソファーの上に置かれていた麻袋の中身を簡単にタンスなどに収納して、夜着に着替え終わると、ドッと身体が重くなり思わずソファーに座りこんだ。
「うわー、なんだろうこの虚脱感」
身体がソファーに押し付けられているかのような錯覚に陥った。
当り前だろう。
今日は長距離の移動をし、色々な事が起こり過ぎだ。
疲れない訳が無かった。
その虚脱感を感じると、グッと身体のどこかしこも重い事に気が付いた。
腕も足も動かすのが億劫だ、瞼もそのまま落ちてこのまま眠ってしまいそうになる。
「あー疲れてる、でもダメー」
夜は冷えるこの国だ。
ここで眠ったら確実に風邪を引いてしまう。
鷹由紀は重い身体をずるずると引き摺る様にしてやっとの思いでベッドの中に入った。
乙女チック全開のベッドだが、スプリングはふわふわで夢見心地の様に暖かい。
申し訳無いがルルの家のベッド等より数段良い寝心地だった。そして何故か添い寝しているクマのぬいぐるみ。
この世界にクマがいるのか、それともリューザキが作らせたのか。
みまごうことないクマのぬいぐるみだった。
そのクマのぬいぐるみの毛の感触がふわふわで気持ちよくて思わずすり寄ってしまう。
「すげぇ、毛も極上です」
リューザキの拘りなのだろうか。
鷹由紀は夜の寒さから身体を守る様にピッタリとぬいぐるみに寄り添った。
「……そっか」
ピッタリと寄り添った鷹由紀は途端に暗い表情をする。
ずっとルルと一緒に寝ていた所為で人肌寂しい自分に気が付いてしまったのだ。
鷹由紀には今クマが寄り添ってくれているが。
「……ルルさん、どうしてるかな……」
目を閉じると浮かび上がるルルの顔。
ちょっとだけ笑うと目じりに皺が寄り「馬鹿だな鷹由紀は」と言って死人の鳴き声に怯える鷹由紀を抱きしめてくれていたルルを思い出してしまう。
ふと横を見るとクマは居てくれるが勿論その手が鷹由紀を抱きしめてくれる事はない。
そうこの部屋には誰も居ない。
怖い…。
死人の声が聞こえるはずもないのに、大層恐ろしかった。
そして思い出すのはルルの事ばかり。
ルルの暖かい手と頬笑みと声。
静かな夜になってしまえば雑然とした音も、そして遮る人もおらず、頭の中は自然とルルの事ばかりでいっぱいになってしまった。
「本当は寂しがり屋の癖に……」
それは鷹由紀を差している言葉なのかルルに対しての言葉なのか。
鷹由紀自身も分らなかった。
寂しい。
本当に寂しかった。
夜が、暗闇が恐ろしい。
ほんの数日一緒に居ただけの人なのに、ルルが居ないだけで夜がこの様に静寂で恐ろしく感じてしまう。
環境が変わった所為じゃない。
では何故?
今の鷹由紀では正確な答えが出せなかった。
ただ、先程まで恐ろしく眠かったはずなのに、ルルの事を考え始めてしまいと目が覚めてしまっただけは分った。
薄らと目を開けると、まだ部屋のランプが灯り、窓の外は雨戸を閉めなかったので月明かりが部屋に差し込んでいた。
鷹由紀は重い身体を持ち上げベッドから降りた。
少し外の風に当りたかった。
フラリと窓を開け外を見た。
冷たい風が部屋の中に入る。
ここはリューザキの家だ。
家の前は広い庭とその先には屋敷林が広がっている。
眼は自然に庭の先を見つめていた。
夜に移動する為の灯を、月光に反射する人影を目を凝らして探してしまう。
だが、そんな光や人影は見当たらない。
それも当り前だ。
ここは特別区。
例え道でさえ、関係の無い人が歩いている事は無く、ましてやルルの様に全く特別区に知り合いがいない人間が入れる可能性は皆無だった。
「馬鹿だなー僕、あの人に捨てられてるのにさ…」
自分が拒絶し、そしてルルは自分を見限ったではないか。
それなのに未練がましい自分を笑った。
彼を跳ね付け、愛想を尽かされた自分が何故この様に思い続けるのだろうか。
元々贅沢な願いを持った自分の所為なのかもしれない。
人の意思を無視した自分勝手な想像の世界を実現しようとしていた。
優しいルル。
頼れるルル。
お伽噺の王子様の様なルルに心酔し、彼はお伽噺の人達と変わらず鷹由紀をずっと真綿の様な幸せな世界でくるんでくれるのではと期待してしまった。
彼が人間だと知っていたのに。彼の想いになんとなく気が付いていたのに。
彼の心を踏みにじったのは自分なのだ。
ゲイにはなれない。
それは今でもそうだ。
男に身体を開くなんて考えられないし、自分がそんな事を望みもしていない。
だけれど、どうだろうか。
ルルが居ないだけで、こんなに寂しいなんて。
「多分…今だけだよ…」
そう寂しいのは今だけだ。今はそう言い聞かせよう。
何れ時間が経てば、寂しさは甘酸っぱさに変わり、そして無関心になれる。
それまでこの胸の痛みを抱える事に慣れているはずの自分なのだから。
鷹由紀は雨戸を閉め窓を閉じると、ベッドに戻りそのまま眠りに着いた。
この世界に来て初めての一人寝はとても辛く、鷹由紀は無意識でクマに縋りつくように眠りについていた。