猫とダンス19

リューザキの家は快適で鷹由紀は直ぐに慣れた。
そもそも同じ日本からやって来た同郷の人が住んでいる所だ。そこかしこに日本人なりの気遣いや、食事もなんとなく日本風で落ち着いた。
そう食事だ。
この家の食事は最高。
言う事無しだった。
以前から毎日米を食べなければ死ね等の拘りは無かったが、人間いざ食べられなくなってしまうと望郷の念と言うか、不思議とあれが食べたいこれが食べたいと言う欲求が出て来た。
だが、紅茶にそっくりなお茶を探し出したリューザキの家だ。お茶に拘っていたリューザキの家は食事にも毎日慣れた味の物が出てくる。
それはあの紅茶似のお茶だったり、デザートであったりするのだが、なんと昨晩はカレーもどきが出てきて、何杯もお代わりしてしまった。
刺激的な辛い物はこの世界でもあるが、カレーフレーバーにはやられた。
食べ過ぎてしまって、今朝はなんだかもたれ気味だった。
「でも、幸せだったな〜」
勿論ルルの家での食事も文句なく美味しくて全然問題が無かったのだが、故郷に似た味を出されるとそれはまた別の話だった。
餌付けと言う言葉が一瞬頭をよぎるが、そもそもリューザキが食べたくて揃えた食材だ。
元からこの家の食事はこうなのだから、鷹由紀がいるからと言って食生活を変えているようには見えなかった。
この家に住んで見て分ったのだが、この家の二人は裕福な篤志家として有名で、そんな二人を慕って沢山の書生みたいな人達が大勢つめかけていた。
お仕着せを着た使用人の中には名家の御曹司なんかもいて、日中はヴェネディクトに家を支える経済学などを学んでいるらしい。
実はこの家は元々ヴェネディクトの持ち物で、彼はこの世界では経済学者として名の知られた人らしかった。
鷹由紀は知らず知らずに有名人に囲まれて生活しているのだ。
二人は意外と忙しいらしくて日中はリューザキはサンケ協会へ、ヴェネディクトはサンケ協会以外に仕事を抱えているので、それ以外も仕事場があるらしく遅く帰ってくる事も珍しくなかった。
だから必然的に日中は二人が居ないので一人の事が多い。
寂しかったら職場に来なさいと言われていたが、仕事は仕事だ。
邪魔する気は毛頭なかった。それに一人とは言え、使用人が夜中まで居るこの家は取分け寂しいと感じる事も少なかった。
分らない事があれば使用人が色々教えてくれるし、そもそも一人が平気な性質なので苦痛には感じなかった。
しかし日中一人で何れ暇になるだろうと見越したリューザキは文字を覚えたらどうかと勧めてくれた。
この世界に来て不思議と言葉は話せているが、文字はからっきし。
文字が読めないので一人で買い物も出来ない、本を読む事も出来なかったのでリューザキの申し出は渡りに船だった。
彼お手製の教科書と書き取りノートを使い毎日それを勉強して始めた。
日本語と対になっている単語帳等は凄く便利で勉強もはかどる。この国の文法は英語と似ていて割と楽で、文法自体の学習で苦労する事は無かった。
それよりも単語と文字を初めから覚えるのが大変。
小学生の使った書き取り帳の様な物で毎日練習の日々だ。
ある程度勉強し、その結果を見る為に定期的にリューザキが作ってくれるペーパーテストを受け日々勉強に勤しんでいた。

今日も二人を見送ると、まずは厨房に顔を出し馴染みになった調理人からお昼前のおやつの果物を貰って部屋に籠る。
さて、これから勉強の始まりだ。書き取り練習は単純で繰り返しの作業。だが受験で散々して来た作業であるから苦痛では無かった。きっちり自分で決めた時間、30分の勉強時間を終えると、一旦勉強を辞めて身支度をし家を出た。
ここから歩いて直ぐ近くにあるサンケ協会に努めている二人と毎昼ごはんを食べる約束をしているのだ。
まだ昼食には早過ぎるが、街中をぶらぶらするのが最近のお気に入り。
この街に慣れる事とストレス解消の散歩も兼ねていた。
サンケとばれない様にフードを被り、いつも一緒に付いて来てくれる使用人さんと出かける。
特別区を抜けて街の表通りをフラフラ。
出店を見てみたり、女性物のキラキラした宝石を見てみたり、別に欲しい物は特に無いのだけれど見るだけで楽しい。
偶に欲しい服なんかがあるけれど、残念ながら極力外でフードを取らないようにとキツクリューザキさんとヴェネディクトさんに言われているので服はリューザキさんと一緒の時だけ買う事にしていた。
ちょっとお気に入りの仕立の出店を冷やかしてフラフラ歩いていると、妙な活気がある場所に気が付いた。
いつも活気がある場所だけれど、今日は何時もとは違う。
少し華やかに飾り立てている人が多い様に感じた。
「なんですか?」
「ああ、これですか…」
後ろに付いていた使用人に尋ねるとほんわか微笑んで通りの先にある大きな建物の大きな扉を指さした。
よく見ると扉の両側には着飾った人々が集まっている。
皆そわそわしていて誰かを待っているようだった。
「結婚式です、ほら今にあの中央の扉から出てきますよ」
「どれどれ?」
指さされた先を見ると、どうやらそこは式場か教会の様な物だった。
使用人の人が言うとおり、暫くすると扉がゆっくりと開かれ中からまずは司祭の様な人が現れ、そして周りの観衆がわっと沸いた。
花嫁と花婿の登場だ。
直ぐに見えたのは可愛らしい花嫁さん。茶色耳で可愛らしいピンク色のドレスを着て、溢れんばかりの花束を持っていた。
「幸せそう」
花嫁は幸せそうに後から出て来た新郎に向かって微笑んでいる。
扉の陰に居て見えないが相当新郎は身長が高い様で、顔を上げて何やら話しかけている姿がとても可愛らしく目に映った。
こんなに可愛らしい子を嫁に貰った男はどんなやつなのだろうと、移動してその顔を覗き見ると黒髪のスラリとした男性。
「……ルルさん…?!」
胸がドクンと跳ねあがった。
そんな訳が無い。
よくよく顔を見ると、ルルよりも幾らか年齢の高い人の様に見え全くの別人であった。
「な、なんだ……」
驚きで竦んだ身体が一気に緩み脱力してしまう。
どうしよう、早い鼓動が収まらない。立ち止まって胸を押さえじっとしていても眩暈がした。
ルルでは無かったけれどそう思った瞬間生きた心地がしなかった。
「どうかなさいましたか?」
「……えっ?あ、スミマセン、なんでもないです」
「左様ですか?御気分が悪い様でしたら早めにおっしゃって下さい、くれぐれも無理はしないようにとリューザキ様からも仰せつかっておりますので」
「はい、分かっています、ちょっと知人に似ていて吃驚しちゃって、ちょっと早いですけれどお店でお茶菓子等買ってからサンケ協会に伺いましょう」
「分りました」
慌てて繕ってみたけれど、使用人からはさぞ不自然に見えたに違いない。
自覚はしていないが相当顔色が悪いみたいだ。
何度も使用人の人が気遣いの言葉を声を掛けてくる。
あまり心配するので、使用人の言う様にゆっくりと歩き、近くの喫茶店の様なお茶や軽食を食べさせてくれる店で一旦休んだ。
暫く座りながら、特製のお茶を飲んでいると気分も幾らかスッキリしてきた。
一緒に来てくれていた使用人も顔色が良くなったと言ってくれたので、そろそろ店を出る事にした。近所のクッキー屋でお土産を買うと丁度昼ごはん近くの時間だ。
二人で雑談しながらクッキー屋に行きお土産を買い、道を歩いているとまた目の端に黒髪が見えた。
「なんだよ……」
勝手に胸が跳ねあがり、勝手に足が立ち止まってしまう。
うざい、脆い、馬鹿。
自分に罵声を心内で吐くが、なかなか新たに一歩踏み出せなかった。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いいえ…なんでもありません」
取り繕う様に言うと、なんとかまた一歩を踏み出した。少し自分が神経質になり過ぎなのだ。
よく考えればルルがいる訳が無い。
居ても、自分の近くに来てくれる訳が無いのだ。
一度自らの頬をパチンと気合を入れる為に叩くと、使用人に微笑みかけた。
「それより早めに行って、クッキーを二人に渡しましょう、皆さんの分も買ったので喜んでくれるといいんですが」
さっさとこの場を離れるのに限る。
明るい声を上げて、サンケ協会へ急いだ。


「お邪魔します」
重厚な扉を開けサンケ協会に入ると、何時もと変わらず白猫のメアリがにこやかに出迎えてくれた。
メアリに笑顔であいさつすると、いつも二人が待っている部屋へと真っ直ぐ向かった。
部屋の中では既に昼食が用意され、何時もの様に、執事姿のヴェネディクトがリューザキに給仕をしている。
「おや、鷹由紀今日は少し早かったですね」
「そうですか?」
「ええ」
リューザキは暫く鷹由紀を見ていると指で使用人を呼びつけた。
やっぱりと思った。リューザキは人の心の機微に鋭い。多分今のやり取りで鷹由紀の心の揺れを見つけたのだろう。
案の定使用人に根掘り葉掘りと状況を聞きだしていた。
「結婚式で具合が…?」
「はい……」
全て聞いてからリューザキは鷹由紀に席へ着くように促され、気まづいまま鷹由紀はその場に座った。
ヴェネディクトが気遣い暖かいお茶を淹れてくれる。
「何でもなかったみたいだけれど?」
「ちょっとだけ、気分が悪くなったみたいで…」
「人ごとじゃダメだよ、この世界は私達の住んでいた世界より医療技術も劣っていれば、精神的面だって私達は万全ではないんだ…鷹由紀、私の目を見なさい」
テーブルから身を乗り出してリューザキは鷹由紀の手を掴んだ。
ギュッと握られ、探る様な瞳で見つめられると思わず目を伏せてしまう。
別に悪い事をしている訳ではないのに、ルルの話となると何故か語る事に戸惑いが生じてしまうのだ。
「心配かけてスミマセン…」
精一杯の気持ちを言葉に表してみたけれど、リューザキさんは痛い核心を付いてくる。
「あの人のこと?」
「……」
「触れられたくない?」
「…いいえ」
「もしかして街中で会ったの?」
「会っていません……」
「じゃあ」
「そっくりな人を見て、なんだか動揺してしまって…、分からないんですけれど、それから凄く顔色が悪いと言われて…」
「………」
リューザキは黙ったまま立ち上がると、鷹由紀を抱きしめた。
「会いたい?」
ビクリと身体が震える。
会いたいか?
会いたいに決まってる。
だけれど、ルルは会ってくれるだろうか。
多分リューザキやヴェネディクトに言われれば心優しいルルは会ってくれるだろう。
でも、それはルルの気持ちを押し殺し、愚かな僕に対して我慢して会ってくれるただそれだけだ。
だって、そうだろう。
愛せない、と言った相手にもう一度会いたいか?
ルルは優しいから会ってくれるだろう、自分の心の傷を隠してでも。
だが、それが嫌だった。
ルルに苦痛を強いる方が嫌だ。
「……会いたいです………会いたい」
でも、会いたい。
自分の我儘に嫌気がさす。
でもルルに会いたいのは本当だった。
「また、一緒に暮らしたいです…」
まっすぐとリューザキを見つめた。知らずに瞳からは一筋の涙がこぼれた。
「僕に安心をくれた人なんです、会いたくない訳ない……でも、会えないんです」
「彼を苦しめるから?」
「……なんで?」
知ってる?
リューザキを見つめると苦笑いをした。
「君には悪いけれど、一度彼と会って事情を聴いたんだ」
「なんで、そんなこと……」
「私の同胞を元に戻して良い人物かどうか見極めるためにね、鷹由紀、彼の元に戻ると言う事は意味を分ってる?」