猫とダンス20

強い視線が胸に突き刺さる。
「ルルさんは君と伴侶になる事を望んでいる、それはね身体の関係を含めたものだ、戻ると言う事は彼と関係を持たなくてはならないと言う事なんだよ…」
何も答えられなかった。
「その覚悟が無いのなら私は君をルルさんには会わせて上げられない、彼は誠実な人だから、君のその思いが寂しさからくる我儘であったら尚更だ」
「それは僕があの人を傷つけるって事ですか?」
「もし覚悟が無いのなら、そういうことになると思う」
「………わかりません」
正直な気持ち、自分でもずっと考えているが答えなど出なかった。ただ、考えれば考えるほどルルが居ない空間が大きかった事を知り、打ちのめされる日々が続いていた。
「でも、ルルさんが会ってくれるなら会いたい…会いたいんです」
「………」
「ルルさんは…」
どういっていたのか?
聞きたいが聞けなかった。
「彼からは何も君に対しては言葉は無かったよ、私達も拾い親である彼に君を預かりウチに住む事になった事を伝えただけ…、会いに来たければ来て下さいと伝えてはあります」
「それは……何時?」
「鷹由紀が来た次の日にヴェネディクトが…」
「…そう……ですか……」
「…君にちゃんとした覚悟が出来た時、初めてルルさんに会いに行きなさい」
重い言葉だった。
「さぁ、話しは終わったかな?アペリティフにしては重過ぎるが、そろそろ軽いサラダなどを摘まみながら昼食を始めないか?」
黙ってしまった二人の肩を叩き、今まで様子を見守っていたヴェネディクトが陽気な声を上げながら自宅に居る言葉遣いに変わった。
ふと優しく苦笑いしたリューザキは「そうですね」と言って、気を取り直す様にテーブルにあった酒の瓶から琥珀色のワインに似た飲み物を注ぐ。
「さぁ、鷹由紀も。今は辛くとも沢山考えなくてはならない時期です、ですが、何れ答えは見つかる、だから今は辛い時期を乗り越えるためにしっかりと食事を取って下さい」
「はい……そうですね」
リューザキの言葉は重く心は晴れないが、確かにこれは誰のせいでもなく、自分で考えなくてはならない事だった。
口にした酒は苦くて、食事も美味しいはずなのに、何故か砂を噛む様な感じになってしまったけれど、目の前で気遣わしげに気を使ってくれるリューザキさんや、実は頼りになるヴェネディクトさんに囲まれていると、重い気持ちも少し浮上してくる。
良かったと思う。
ただ甘やかすだけの人では無くて、厳しい現実を見せてくれる人で。
「あの、ありがとうございます…」
「ん?なにが??」
突然の言葉に二人とも何に対してだと不思議そうな顔をしていた。そんな二人に鷹由紀は知らずに頬笑みを浮かべていた。
「二人が居てくれて、本当に良かったと思って」
「なんだ、そんな事ですか……」
ニヤリと笑ったヴェネディクトに、リューザキがギクリとしている。
なんだ、この雰囲気はと思っていると、リューザキが態とらしい咳払いを始めた。
ますますおかしい。
なんなんですか?とヴェネディクトに視線を向けてみると、片目でウインクした。
「リューザキはきっと過去の自分を見ている様で貴方の事を放っておけないんですよ」
「過去の自分?」
「私は元はヘテロです、抵抗なくヴェネディクトと伴侶になった訳ではありませんから」
リューザキが思い切った様に声を張り上げると、ヴェネディクトはとうとう笑い出してしまった。
「旦那さま!いい加減にして下さい!」
「いいじゃないか…っっ」
「旦那さまっ!!」
リューザキもとうとう立ち上がってヴェネディクトを怒っている。
怒っているリューザキにヴェネディクトは余裕で、振り上げた拳を強引に掴んで口づけられていたりしていた。
圧倒的にリューザキの負けだ。
ヴェネディクトは紳士で大人しそうに見えるけれど、やっぱり一枚上手の大人って感じだ。
イタリア男がする仕草もヴェネディクトがやるとばっちり似合っていて、拳の次は二の腕に口づけているシーンは映画の一部の様に絵になったけれど、見ているこっちがどうにかなってしまうのではないかと思うほど、恥ずかしいシーンだった。
あんまり見ない様にしよう。
そっと目を反らすと、リューザキが叫んだ。
「ちょっ!鷹由紀が見ていますっ!!」
「いいでしょう、別に私も貴方も裸体でいる訳でもあるまいし」
「ダメですっ!離して下さい!」
リューザキがやっとの思いでヴェネディクトの手から逃れると、二人のやり取りをあまり見ない様に反らしている鷹由紀を抱きしめた。
「た、鷹由紀いいですか!最初が肝心です、最初に甘くすると私の様に…」
ぜいぜいと息を荒げているリューザキになんといえばいいのか。
「と、取敢えず落ち着いて下さい」
「これが落ち着けますか!」
「あ、あの……リューザキさんって何時もは旦那さまって呼んでいらっしゃるんですか?」
「……っ」
あ、赤くなった。
真っ赤だ。目の前のリューザが熟れた柿色に染まり、動きが止まってしまった。
「そんな事を口走っていましたか…」
「はい」
「そ、そうですか……、あの、そうですね、あの…」
よほど言い難いのか何度もつっかえてしまうリューザキの背後からヴェネディクトが覆いかぶさった。
「二人だけの時は旦那さまとお呼び頂けるんですよ」
「へー、二人だけの睦言って事ですか?」
「その様な物ですね」
「ひーっ!辞めて下さい!!!」
「あっ…」
リューザキは覆いかぶさっているヴェネディクトを力の限りで引きはがすと、部屋から逃げ出してしまった。
「ああ、虐め過ぎてしまいましたね……」
ひょうひょうとしながら、グラスに残った酒を呷るヴェネディクトになんて応えて良いものなのか。
「元気になりましたか?」
「ええっと、兎に角なんだか元気になりました…」
リューザキの犠牲の上ですけれどと付け加えるとヴェネディクトが笑う。
「リューザキもきっと本望ですよ」
「そうでしょうか?」
リューザキの出て行った扉を心配になり見つめた。外からは何も聞こえない。
きっと既にどこかに行ってしまったのだろう。
大丈夫だろうか…、あんな突っ込みしなきゃよかったかもしれない。
シュンとしてしまった鷹由紀の肩をヴェネディクトが優しく叩いた。
「心配しないで、結構打たれ強いから大丈夫ですよ、ケロッとした顔で後で戻ってくると思います」
「そ、そうですか…」
長年連れ添ってきたヴェネディクトが言うのならそうなのだろう。
リューザキには申し訳ないが、確かに先程の件で重い気分が払拭された事に間違いは無かった。
「それより鷹由紀さん、喉渇きませんか?」
「えっ?喉」
「ええ、私が淹れさせて頂きますので、一杯」
優雅な仕草でティーカップにお茶を注ぐヴェネディクトに鷹由紀は言われるがまま席に着いた。
温かく香り高いお茶がティーカップに注がれた。
「取敢えずお茶を飲んで落ち着きましょう」
「は、はぁ…」
強く勧められて取敢えず一口飲むと、ヴェネディクトはまるで水を飲むようにくいっと一煽りでお茶を飲み干してしまう。
「最近あまりリューザキをからかっていなかったので、報復が怖いですが、まぁ偶にこの様なスパイスも必要でしょう」
「そ、そうですか…」
「それより、鷹由紀さん、先程のリューザキとの会話の続きをさせて頂いて宜しいですか?」
「え…っ?」
「嫌だって顔されていますね」
「……そんな事は…」
「私はね鷹由紀さん、貴方が既にルルさんへ恋をしていらっしゃるのではないかと思っているのですよ」
「…どういう事ですか?」
何をこの人は突然言い出すのだろうか。
「恋とは不思議なものです、自分の気付かぬ内に始まり、そして知らぬ内に囚われ身動きが取れなくなる、まるで罠の様にね」
「それはご自分の体験談からですか?」
「ええ、それもありますが…強いて言えば貴方の目です」
「僕の目?」
「ええ、貴方の目です、貴方の目は昔のリューザキの目に似ている」
「リューザキさんに?」
「…ええ、そっくりです、心を認められず苦しんでいる所や寂しがり屋な所なんてね」
今度は鷹由紀がカッと頬を染める番だった。
「辞めて下さい、からかうのは」
「ふふ、スミマセンつい先程の勢いで、ですが、本当なんですよ、本当に似ているんです」
リューザキが先程「抵抗なくして伴侶になった訳ではない」と言う事に繋がるのだろうか。
「まさか……」
「気付かぬは本人ばかりってね」
ヴェネディクトはまた自らの手でお茶を注ぐと優雅に笑って見せた。