君を我寵愛せし 4


拒否権の無い決定。
僕はその事実に眩暈を起こし、クラリと床に崩れ落ちた。
事実を事実として受け入れられずむやみやたらそこら中に叫び出したい衝動に駆られる。
床に崩れ落ちた僕を父と母は慌てて抱きすくめてくれたが、身体中から力が抜け落ちた僕はソファーにぐったりと身体を横たえ、何やら話しかけてくる両親になんとなく頷くのが精いっぱいだった。
あの公爵はどう思っているのだろうか。
ふとそんな思いが心の中で過った。
「クレマン公爵はこの事について」
「既に了承済みだそうだ」
ああ、と口から知らぬ内に悲鳴の様な吐息が漏れる。
複雑な心境だった。姉と外見は似ているが、似て非なるものが僕だ。成長が未発達な僕は服を着ていれば姉となんら変わらない様に見えるが、裸体になれば豊かな乳房も無く、滑らかな曲線も無い。
股間には同じ生殖器が存在する僕を公爵は受け入れられるのだろうか。
それとも家の為だけに僕を受け入れるのだろうか。
何れにしろ、幸運な婚姻が姉の死によってウチ消されてしまった事は確かだ。自らの不幸より、公爵の不幸が気の毒で仕方が無かった。
「クレマン公爵にお会いしたい……」
「分った約束する」
精一杯の僕の頼みに父は力強く頷いた。
結局僕はその事を伝えると、全ての余力を使い果たしてしまったようだった。ソファーでぐったりしてしまった僕を母は冷たい水や気付けにと爽やかなハーブを嗅がせてくれたが一向に気分が良くなる事は無く、家令達に抱きかかえられ部屋に戻った。
父は約束通りその日の内に公爵家へと使いを出してくれたようで、翌日クレマン公爵がお忍びで我家へとやってきた。
僕は結局その日はよく眠れず体調もすぐれなかったが、なんとか起き上がり彼を白薔薇の咲く庭で待った。
「公爵ようこそお出で頂きました」
婚約者を失い喪に服した恰好でやって来たクレマン公爵は心なしか憔悴している様に見える。
僕は腰を折り客人として彼を出迎えると、庭に特別に設えさせたテーブルセットへと彼を招く。
ここは家の中で一番白薔薇が美しく見える場所だ。姉の力が借りたくて女々しい僕はこの場所に急ごしらえでこの場所にテーブルセットを作って貰った。
「顔色が悪いが…」
失礼が無い様に身支度はしたものの、顔色までは変えられなかった。
「お気になさらないで下さい。さぁ心ばかりですがお茶をご用意させて頂いたのでお掛け下さい。喉は渇いていらっしゃいませんか?」
「ああ、頂こう」
家令が引いた椅子に座る仕草は僕が見た誰よりも優雅で美しかった。本当に美丈夫な人だった。美しい金髪に薄いブルーの瞳。王城で独身女性の憧れの的なのと嬉しそうに呟いた姉の顔を思い出した。
「君は座らないのかい?」
「あ、いいえ、スミマセン」
まさか見とれていたとは正直に言えなかった。慌てて僕も座るがなんとも気まずい。
家令が静かにお茶を用意する姿をぼんやりと見ながらどう話しの糸口を見つけようかと悩んでいると
「綺麗に咲き誇っている」
庭に広く植えられている白薔薇を見て呟いた。
「姉が好きだった花なんです」
「そうだったな」
「あの、公爵昨日お話を伺いました」
「私を軽蔑するかい?」
「…なんと言えばいいのでしょうか?」
答えが見つからなかった。
姉を亡くした公爵を憐れんでいるとも気の毒と思っていると言っていいのだろうか。それとも喪も明けきらない内に新しい婚姻を出してくる事に対して軽蔑しているとも。
どちらも今の僕には言えそうにない。
ただ真っ直ぐに公爵を見つめると、不意に視線が外された。
「君は心の奥底を見る様な眼をしているね。アニェスがよく言っていたよ、弟の前で嘘はつけないとね」
「そうですか?」
そんな事は無い。世間知らずな僕が既に公爵の位に付いている人の嘘を見抜ける訳が無いのだから。
「私は葬儀の折り君を見て欲しくなった、死したアニェスが私への最後の贈り物に君を使わしてくれたのだと、そう思ったのだ」
「それは……」
「ああ、違うだろう。多分私は自分の心を擁護する為にこう思っているのかもしれないな。認めたくはないがハッキリ言った方が良いだろう。私は君をアニェスの変わりに欲しいのだ」
真っ直ぐな瞳が僕を貫いた。
ああ、そうか。
やはりそうなのだとやっと納得が出来た。
だが、それは違う事を知らせなければいけない。
「公爵様、僕はアニェスには似ていません」
「何を言っている?君はアニェスに瓜二つではないか?」
「いいえ」
僕はゆっくりと首を振った。
「僕は両性です、幾らアニェスと外見が似ていても服を脱いだら身体は男性に近い。きっと抱きしめてもアニェスの様に柔らかくも無いのです。それでも公爵は僕を欲せられますか?身体の丸みも、女性としての教育も受けていません、きっとアニェスとの考え方も、もし公爵が夜伽をお望みの場合は更に勝手が違います、それでも宜しいのですか?」
一番聞きたかった事だった。
婚姻した後に、全く姉と違うと言われても僕には同じになるすべが無い。
それだけを確認したかった。
「君には残酷だが、私はそれでも君が欲しい」
「そう……ですか」
嘘いつわりのない目をしていた。公爵は本気なのだ。他人から聞けば公爵が僕に言っている事がしごく残酷で身勝手な良い分だが、僕は胸のつかえがすっと無くなる。
なればもう、いい。
分った上でなお僕を求めるのなら受け入れるしかない。
「わかりました。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
僕は公爵の前で深く頭を垂れた。
そんな僕に公爵は虚をつかれた様だ。僕を驚く様に見つめていた。
「君はそれでいいのか?」
なにがだろうか。姉の身代わりと言うことだろうか。
だが、それなら仕方が無いことだ。幾ら僕が叫んだとしても、政略的に決まっている事なら従うしかない。
かえって、政略結婚だから仕方なく僕を受け入れると言われるよりよほど幸せだと思う。
「公爵が僕でよいと言うのなら、よいのです」
姉の下として、彼に落胆されない様に。流石は姉が愛した子だと言われる様に努力するしかない。
だがそんな僕を公爵は変わらず驚きの面持ちで見つめるばかりだったが、僕が真っ直ぐと公爵を見据えると、一度震える様に大きな吐息を吐き
「罪深い私を許してくれ」
と苦しそうに呟いたのだった。