君を我寵愛せし 8

アンヌと呼ばれた女性は侯爵家の人々に受け入れられているようだった。僕以外の人達は彼女を当り前の様に受け入れ、座も一気に盛り上がった。
まるで派手な花火みたいな人だ。
アニェスも家族もどちらかと言えばはしゃぐ事はあるモノの落ち着いた雰囲気を持っている人達ばかりだったので、アンヌの様な華やかで勝気そうな人には苦手意識があった。
スルリとクレマン公爵の腕に手を掛け組み、流し目で僕に視線を向けてくるのは、きっと自己主張だろう。
溜息が溢れる。
なんとなく分ってしまった。
「どうした?ブノワ」
「いいえ、何でもないです、初めましてクレマン公爵家へ嫁ぎましたブノワで御座います」
僕は昔アニェスに習った様に綺麗に微笑んで見せると、アンヌは負けずに微笑んでくる。
その微笑みが笑っていない事に気が付き、なんとなく居心地が悪くなった。僕は挨拶が終わると早々に二人からは離れ、給仕係に案内されるまま、所定の位置に座った。
程なくして食事会は始まる。
最初は僕と公爵の挨拶からだったが、それも直ぐに雑談へと変わっていった。
アンヌと言う女性は僕と公爵とは離れた場所に座ったけれど、社交的な性格らしく弁もたった。
いくつもの話題を振り、クレマン公爵もまたその話題に乗り座は大変に盛り上がっている。僕はずっと家から出た事もないから彼女の様な真似は出来ない。
元々おしゃべりが得意ではない僕は黙って給仕される食事を味わうことに専念していた。
まるで宝石の様な飾り付け、希少な食材と絶妙な味付け。
特別な日の特別な料理。
素敵で美味しい料理に舌鼓を打ちながら、周囲の話しに頷いたり聞き耳を立てているとやはりという話が耳に入った。
「全くあの子も恥知らずだこと」
老齢の女性が眉を顰めた。
「どういうこと?」
隣の女性が身を乗り出すと、老齢の扇子で口元を隠した。
「既にブノワ様と言う伴侶を得たお披露目パーティーだと言うのに、アンヌは自分がクレマンの妻の様に振舞って、それをまたクレマン殿が許しているのが目に余るのです」
「ああ、彼女」
フフっと笑った女性は。
「アニェス様がいなくなって、自分にチャンスがあると思っていらっしゃるのかもしれませんわね」
好奇の目に晒され、途端にいたたまれない気分になり、美味しく料理を食べようという気が失せてしまった。
結局姉と愛し合っていたと思っていたクレマン公爵もまた普通の貴族と変わらないと分ったからだ。
僕はナプキンで口を拭うふりをして、溜息を出す。
大抵の貴族達は正妻である妻だけでは無く、愛妾と呼ばれる人達を持っている。政治的な理由で無理やり結婚させられ愛は別に求める者あれば、一時の快楽の為に愛妾を作る者、子供が出来ない為に外で作る者も居る。
クレマン公爵はどちらの人だろうかと想像してはみたが、皆目見当が付かない。ただ一つ言える事は姉であるアニェスがこの事実を知らなくて本当に良かったと言うことだった。
そんなことばかり考えていて食が進んでいなかったようだった。
「美味しくないかい?」
皿にまだ沢山残っている料理をひょいっと覗きこんできたのは、前公爵ドニであった。
「いいえ、美味しいです」
「本当かい?」
「少し……あの、緊張していて…」
疑わしいドニの目にどぎまぎして答えていると、思わぬ助け船が入った。
「そうよ、貴方。クレマンの我儘で急に此方へ来る事になったんですもの。戸惑いがあって当然よ」
そう言うのはドニの妻であり実父の妹であるサラだった。
「そうだったな、まだ当家に来たばかりだものな。アニェス嬢のことは残念だった。けれどブノワ殿が来て下さり私達はこの上なく嬉しいよ。ありがとう…」
真摯な瞳で見つめられ感謝の言葉を告げられると、どうしてよいか分らずまたドキマギしてしまい、答えるのも精一杯だ。
「いいえ…とんでもないです」
気のきいた事が言えなかったが、ドニとサラは満足そうだ。
ぎゅっと僕の手をいきなりつかんだかと思うとグッと引き寄せられる。
僕の身体が浮いてしまうくらいの強い力だったが、ドニの迫力に拒めない。
何を言われるのだろうとドキドキしていると
「ブノワ殿、クレマンは親の私が言うのはおかしいが立派な男だ、是非支えてやって欲しい」
「姉に届くか分りませんが、努力致します」
咄嗟にそう言うと満足してくれた様で、やっと手を離してくれて夫妻は幸せそうに微笑みあった。
良かったと心の底から思う。
クレマン公爵の我儘でご家族は反対しているのではないかと心配していたからこれは嬉しかった。
自然とわき上がってくる微笑みに、隣に座っていたクレマン公爵が僕の足にそっと触れ撫でて、蕩ける様な微笑みを向けて来た。
「ありがとう、ブノワ、君が来てくれて嬉しいよ」
その言葉だけで、これから頑張れる気がした。
食事会も程なく終わり、酒宴へと変わって行くと座は盛り上がって来た。音楽を鳴らし踊る者、酒を酌み交わし大声で会話を楽しむ者。
公爵家の食事会は、大道芸人やオーケストラ、歌姫等が揃えられており、僕はそれなりに楽しんでいた。
アンヌは人々が立ちあがり自由にし始めると直ぐにクレマン公爵の横へとやってきて、まるで自分が恋人ですと言わんばかりにぺったりとくっ付いて離れなくなっていた。
前公爵夫妻はそれをなんとなく注意してはみるものの、アンヌはそれをどこ吹く風でクレマンでさえ苦笑いを浮かべるだけだ。
注意されると傷つく様な表情を浮かべクレマン公爵に甘えて縋るその姿に僕は寒気を覚えた。
嫉妬などではけしてない。
悪意に晒された事に対しての恐怖みたいなものだった。
なるべく二人を見ずに、気付いていない振りをしてクレマン公爵の問いにも答え楽しく食事を楽しんでいますと言うポーズをつけてみたのだが、アンヌの視線が如何せん痛いのだ。
なんでもない。
なんでもないと何度も言い聞かせて僕は食事に再度集中し始める。
気を利かせてくれた前公爵夫妻のお蔭なのか自然に気にならなくなり、最後のデザートをゆっくりと食べ始めていると、突然食堂内に悲鳴と共に鋭い怒号が響いた。